BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 世界革命 > ――
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Category: < 世界革命 > | 2006.09.12 Tuesday 22:00

まとめてみると・・・

健全な心身から、人間社会は出発する
保ち合いの理が顕在化した社会 = 真理実践社会 ・・・・健全な心身から

誰のものでもない 誰が用いてもよい
 真の平等は機会均等が急所

機会均等・・・資格・・・機会均等    機会均等の上で資格が問題

真の人間になってから飼うのが山岸養鶏 (真の幸福になるための養鶏)

資格をつけてから・・・             (資格をつけるための・・・)

「知っている」という事が人間の格を落とす。
  (自分は知ってる分かってるつもり・・・「知らない」という自覚がない)
   教育制度の害毒 知ってる人の乱造 互いに裁き合い責め合う人作り

◎ 人間として最も大切な人格上の問題

     人格の有無は、自覚の有無
     幅る辱しさを知る・・・・・・人間社会の基本
     徹底自覚
       |−−−−−−−−−−−−我執・我欲・占有が消えていく
     そういう人間に成り合う
       |
心 理 的 方 面 の 解 決 と 社 会 構 成 の 真 髄
                               |
                               |
◎ 制度・機構は最も大切 −−−−−−−−
     自覚を養い、人格を育み、資格をつける ことに主眼をおいた社会
     自分を知り、人生を知り、社会を知る
     人間としての基礎(人間理) 自覚 → 人格 → 資格
     束縛・抑圧なく人間に持つ「知と情」で保ち合える社会の基盤

真の人間幸福の研究に着手し、大きな要素と思われる安心や満足についての解明が進めば、自ずと従来の価値観は根底から覆り、経済機構も教育制度も大改革される。
制度・機構・行政面も真の人間向きのものになるのは必然。



理解ある協賛により、実践し乍ら完結出来れば幸いとします。
 社会の実現       How to Construct
 やれない人が(やれる自分と思って)やろうとしているから実現しない。
 (資格ない人)
 やれる人になって やらないと やれない 当然の理

 やれない【自覚】 やれる人になろう【人格訓育】 やれる人で共にやろう

金の要らない社会とか、仲良い社会とか、無所有社会とか、一体社会とか、
いくら本当だと思って、それを願っても、やれるものではない。(頭の観念段階のもの)
自分の内から出たもの(自分の目的)でないと、・・・・先ず、自分を知る、自分の目的を知る。
金の要らない人、仲良い人、無所有の人、一体の人に、先ず、自分がなること。
自分がそうでないのに、そういう社会できるはずがない。

  先ず、自覚 → それから、人格養成 → 資格に応じて発揮できる

自分を調べて、検べて、自分に尋ねて、自分を探ねて、自分の真目的に辿り着いた人は、揺るがない、放っておいても、その方向に行動を起こす。そういう人が寄ってこそ揺るぎない社会が始まる。あとは、どんな人が入って来ても大丈夫。無くなることを怖れない人(自分の中にあるもの)で始まった社会は決して無くならない。

Category: < 世界革命 > | 2006.08.30 Wednesday 22:00

よく ここまで きたな

長年のヤマギシ組織の体験を経て、これでは先がない
やはり、束縛・押し付けのない社会、妥協や諦めで抑制しない社会を・・・
本質的な社会、それには、本当の社会の姿・あり方を調べ、知ることから。
          ↓↓
社会を作ろう、自分達の手で、一から実現しようとやってみると、
実現しない原因やら、実現していくための要素やら、・・・・・・
もっともっと研鑽が要ることが明らかになった。以来 幾歳・・・

研鑽の行程
そういう社会を顕わすには、
人格の要素が大きい、
先ず、そういう人が不可欠
      ↓↓
そういう人を養成するには、
機構・制度の要素が大きい、
先ず、そういう社会が不可欠
      ↓↓
人の養成に主眼をおく社会には、
そういう社会基盤作りに賭ける人の結束
実現の行程
そういう人が続々誕生し、
社会気風醸成
    ↑↑
    ↑↑
人の養成に主眼をおく社会
 (人間らしい人格)
    ↑↑
    ↑↑
社会基盤作りに賭ける人の結束


この社会システムが、実用段階にきていることが大きい。
その背景には、人と社会の本質を究明する研究機関と、
方法を考案し、実用化をはかる、試験・実験・実践機関
          ↓↓
<研鑚セミナー> <生涯学究制>
 

          ↓↓
これらを作る人と、これらに参加する人とで繰り広げる、社会モデルは、
一時的な情緒的 盛り上がりによる満足感・幸福感に浸ったり、自己一代のみの成果・出来映え・評価に喜ぶものでなく、
永遠の幸福・繁栄に、資するものであるか、どうか、が唯一の判定基準。
世界全人に歓迎・採用され得る普遍性ある社会システムか、どうか。


ここに登場するいくつかのキーワード、
<そういう社会> <そういう人> <人格> <機構・制度> <社会基盤>
これらについては、繰り返し詳述している通りです。

Category: < 世界革命 > | 2006.07.29 Saturday 08:55

実証の段階へ・・・

 いよいよベールを脱いで、
“共用社会”
“誰のものでもない”
“誰が用いてもよい”
“無所有 一体主義世界”

 を論理的に立証的に編輯して世界に打ち上げます。
(1959.10.10 第二信より)

“共用”・・・になっていないという自覚
“誰のものでもない”・・・になっていないという自覚
“誰が用いてもよい”・・・になっていないという自覚
“無所有”・・・になっていないという自覚
“一体主義”・・・でないという自覚

  そうなっていないということを気づける(自覚できる)か、どうか。
  そうなっていない状態で、そうやろうとしても、できない当然の理。
  先ず、自覚。それから、そうなろうとする。そして、そうなるには・・・。

人の心も、生活行動も、機構や運営も、
“共用” の方向に進んでいるか、どうか。
“誰のものでもない” という方向に進んでいるか、どうか。
“誰が用いてもよい” という方向に進んでいるか、どうか。
“無所有” の方向に進んでいるか、どうか。
“一体主義” の方向に進んでいるか、どうか。

 これを見分けるの難しいと思う人いるが、そんなことない実に易しいこと。
 これに関心がないから、見分けられない訳で、関心ある人なら、すぐ判る。
 今のご時世、商取引き・近所付き合い・人間関係のかけひきや、年金・保険・老後の蓄え・資金運用・金利などなど、とても複雑なことを会得して巧妙に使いこなしている。
 これだけのこと一般人の誰もがやれるんだから、無所有 共用 一体 か、どうか、を見分けるなんて、誰でもできる。高度な知恵いらない。関心があればできる。


赤ん坊のときは、誰もが何も持ってないのだから、難しいことではない、誰でもなれる、当然の姿。
人間が知恵あるにも関わらず、人間(自分)の考えで良いと思うものを良しとして、そうでないもの排除して、そうすることで、より良く生きられるかの如く思う、思い違い。
人間(自分)の考えで、取り込んだり、排除したり、そういう傲慢さが、人間(自分)を狂わせている。
人間(自分)は、そんなことできない存在であることを知る。

猛獣・病原菌・台風・地震・・・あるから安心できない楽しく暮らせないなら、人類幸福は永久に不可。
なにものとも共存し、棲み分け、保ち合って、豊かに安定した暮らしができるはず。(これら人間の観念が通じない相手の例の方が分かり易い)
人間の考え振りかざしたり、人間の考えで裁いたりするから、善玉・悪玉つくったり、征服・克服・支配などの発想が出てくる。
自然界の何ものとも抗しない、対立がない、共存共生あるのみ。当然のこと。
ましてや、同じ人間同士は尚のこと、知恵を生かしあい、力を足し合えるから、・・・


ミソ も クソ も 一緒にしない 無所有 共用 一体 の実態か、そうでない実態か、に関心ある人が増えると、この社会の実態が、もっともっと浮き彫りになる。自分の思いや感情を振り回した「観念や感覚による評価」でなく、実在する人と社会の実態に着眼する。

Category: < 世界革命 > | 2006.07.26 Wednesday 23:00

近頃 実証されてきたこと・・・

幸福社会、本当(真実)の社会の実現を願っているつもりでも、
幸福社会、本当(真実)の社会の何たるか分からないでは、実現しないのが当然の理。

その原因は、幸福・真実を知ろうとしていない。
幸福・真実を知るすべがないからか、その代替的に、
観念的欲求や幸福感情を追い満たし、それで済まそうとしているのではないか。
或いは、観念的欲求や幸福感情を満たすことが、幸福・真実であるかの如く勘違いしているのではないか。
日常生活にしても、仕事に打ち込むにしても、人生設計するにしても、その指針は、観念的欲求や幸福感情を満たすことに終始しているのではないか。


幸福社会の実現、本当(真実)の社会実現の真髄は、幸福・真実を知り見極め、それを実現しようとする研鑽実践にある。
原理・真髄は、すこぶる簡単シンプルなものだと思う。

しかし、観念的欲求や幸福感情を満たすことから抜け出せないのが、今の殆どの人の実情だと思う。
観念的欲求や幸福感情を追い求めるのは、人間の観念の肥大化(頑固・常識・道徳・盲信・妄想・自信・思い込み・感覚優先・自分の考え優先・etc)そのものだと思う。
朝早くから仕事に打ち込んでいる姿は、良いように思われているが、その実は、人生無知故の暇つぶしや金稼ぎで、それに意義づけ・正当化・やりがい等を上乗せした自慰行為(マスターベーション)が、殆どではないだろうか?
そこには、幸福・真実を知り見極めようとする研鑚のかけらもないと思う。


幸福・真実に焦点が定まり、研鑚の光が当たれば、当然その方向へ実現が進む。

それには、先ず、観念的欲求や幸福感情から抜け出す。
それには、自分の思いや気持ちや感情や考え優先で、やろうとしている自分、暮らしている自分を自覚する。
そして、自分の頭の中のものではなく、真理・真実・事実・実際の方に重きをおき、何が幸福か、何が真実かを、知り、見極め、実現しようとする。

「研鑚セミナー」や「自分を知るための研鑽会」は、そのためのものであるが、
それで、幸福・真実を知り見極められるものでもない。
現状の自分を自覚し 〜 自分やこの世の成り立ち・事実実際を調べ 〜 人間(自分)や社会の本来の姿を調べ 〜 幸福・真実を知り見極めようとする。

自分を知り自覚することから 〜 真正世界実現までの道筋・軌道を、理解し会得された人が現前しつつある近頃。
真目的の実現は、唯々、これにかかっている。

Category: < 世界革命 > | 2006.07.25 Tuesday 19:00

Next Society

従来の社会では、必要とされていることの多くが、
次に来る社会では、要らなくなる。

 権利・義務の社会から、権利・義務のない社会へ
 誰々のもの、誰々は使ってはならない、という社会から、
       誰のものでもない、誰が用いてもよい社会へ


権利・義務のない社会
 言葉では、権利・義務がないというと簡単そうだけど、実際的に考えてみると、
 当然であると主張できる何ものもない。生きる権利、食べる権利、人権という言葉も要らない。
 法律を守る義務、納税義務、扶養義務、など、しなければならないこと、強制されるもの、何もない。契約や責任を果たす義務もない。

物・金・人・自分 誰のものでもない誰が用いてもよい社会
 云いかえると、承諾や許可が要らない社会・責任や罪や罰のない社会
 「誰の仕事でもない・誰の家でもない・誰の金でもない・誰の名義でもない・・・・誰が用いてもよい」
 私とか、あなたとか、なんの承諾も、誰の許可も要らない。
 いくら働いても報償も給料もない。保険も保障も要らない。
 誰が何をしても責める何ものもない。不平・不満・文句など出ない。
 責任という言葉も要らない。罪も罰もない。


as one society
 権利・義務・責任・承諾・許可などなど要らない人による社会
 次に来る社会の礎として、as one社会を実践する。

こういう社会では、なんでもスースー行く。
いちいち了承を得たり、みんなに諮る必要もない。
承諾不要、相談もなし、「研鑚あるのみ」でいける人が、この社会やれる人。
自分の思いや感情や気持ちを出さないとやれない人は不可。
不平・不満・権利主張のある人は、旧来社会で・・・。


次に来る社会は、無所有共用社会
 これを願っても望んでも、無所有共用で行ける人にならないと・・・。
 無所有共用とは「物」のことではない。
 自分の考え「自分そのもの」を無所有共用でいける人にならないと・・・。
 生涯学究制は、自分を知り、人生を知り、人間社会を知り、本当の社会人たり得る人格と資格を養成する機関。

 竜巻や狼に子供をさらわれても、誰にも文句は云えないだろう。
 人間の行為にのみ、責任・罪・罰が発生するのは何故だろう?
 自然災害でも、誰かの責任にしないと気が済まないらしい。
 この世の出来事 凡て、誰のせいでもない、誰が悪いのでもない。
 自然の中で生きた昔の時代は、人間が作ったものが自然現象で崩壊・全滅しても、さほど、悲しんだり、悔やんだり、苦悩・苦心なかっただろう。
 理屈を知らなくても、人間の考えよりも、自然の力の方が圧倒的に大きいことを体で知っているだろう。
 現代でも、どんな人でも、幼少の頃は、自分の意志では、どうにもならないことばかりだと、理屈ではなく、体で知っている。
 子供は、文句言わないで、産まれた家で、付けられた名前で、与えられた物を食べて生きていく。
 人間の考え(自分の考え)膨張、人間の考え(自分の考え)独走でなく、
 自然真理・事実・実際に即応してより良く生きようとするところに人間の知恵が働く、自然真理・事実・実際を軽んじていては、人間は決してより良く生きられないと思う。
 そういう、元来の人間、人間らしい人間に立ち還るために生涯学究制はある。
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