BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 精神革命 > ――
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Category: < 精神革命 > | 2005.05.08 Sunday 07:55

眩まない目

「目に見える部分」に目が眩む   「枝葉・末節・表層」に目が眩む
「目が眩まない」とは、どういう状態をさすのだろう。

・・・行なわれている殆どの現実が、根本的に変ることで、・・・
私共では、根本的に行き方を変えて、・・・

根源本質的なものに重点をおき、・・・
形の無いものに本当の価値がある・・・

現象、つまり凡ての物事(物質と事柄)、文字通り現れた象であるから、
現れの元というか、現象の元となる本体が存在する。当然、現象化しない本体もたくさんある。
人間がそう捉えなくとも、成り立ちを知らなくとも、存在そのものには何ら関係ないが、
人間が知覚的に物事を把握しようとするときに、その成り立ちを知ろうとしないで、人間よりの偏った捉え方、知り方、をするところに、人間の道外れが始まる。
「無現象と現象」というのも人間よりの捉え方かもしれないが、それすらも考え及ばない浅薄傲慢な観念で、現象のみに重点をおいた人間生活が蔓延し引き継がれてきている。
法律制度、経済活動、スポーツ等に至るまで、殆どの現実が、現象のみを重視した人間生活である。
無現象・本質を知るというと難しく聞こえるが、要は物事の成り立ちを知る、ということで、
成り立ちを知ろうとすると、無現象・本質の大きさが分かり、人間の思いの果敢なさも分かり、自ずとキメツケのない謙虚な姿になると思う。
これは、現状の人間世界から見ると、かけ離れた境地の人のように思われるかもしれないが、
普通の人間の状態、真の幸福を求めるなら極々あたり前の姿、「幸福会員」のことだと思う。
本質に重点をおいた人間生活が、どのようなものか、そして、どうすれば人間はそうなれるか・・・、
つづく

Category: < 精神革命 > | 2005.04.22 Friday 07:49

ある ない

「無い」のが当たり前で、「無い」のが本当で、「有る」のはおかしい・・・

人間なし、生命なし、肉体なし、愛なし、情なし、SEXなし、伴侶なし、親なし、子どもなし、物なし、お金なし、・・・
言わない、考えない、思わない、約束守らない、働かない、動かない、しない、やらない、仲良ししない、けんかしない、・・・
みんな「無い」で当たり前だけど、言葉ではなく、「理」というか、人間の関与できないもの。
赤ちゃん誕生 嬉しいな。でも足がない手がない・・・と悲しむ。
「親がない」「愛がない」なんて実際あり得ないけど、「有る」ことを当然とする人間の観念は不要。
「〜ない」と云っても何かが「ある」状態を云ってる場合あるから、言葉の「ない」じゃないよね。

物理的に可能なこと「できない」とか、「してはならない」「しなくてはならない」は人間の独走観念で、我執と呼んでいいと思う。
言えない、聞けない、人殺せない、・・・は、我執・・・。
  地下鉄の線路に人を突き落としたというニュース「よくそんなことできるなあ」
  俺にはできない・・・これ我執。

「なんでもできる」「何をしてもよい」「何もしなくてもよい」・・・当たり前のベース
「できない」「してはならない」「しなければならない」・・・・・・人間の頑固独走観念。
言わない、聞かない、働かない、殺さない、・・・当たり前のベース
言えない、聞けない、働けない、殺せない、・・・我執

でもね、見ない、聞かない、というのは、当たり前の「ない」か、どうか。
目かくしする、耳に栓をする、という行為が「有る」ことによる場合が多い。
つまり、見ない、聞かない、も当たり前の場合と、我執の場合がある。
「ない」といっても、理に即した自然当たり前の状態と、我執観念の「ある」上で「ない」といっているのと二通りある。
違いは、その人の中身、真なるものか、どうか・・・。

まあ、いずれにしても「ある」のが当然とする人間の独走観念が不幸を作っている。
はじめは、無かったのだから、有り始めた頃は、少しでも有ることの実感があるが、それに馴れて、上げ底になって、有るのが当たり前になって、「ない」ことを不満に思うもの。
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