BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 精神革命 > ――
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Category: < 精神革命 > | 2007.06.09 Saturday 10:00

無いで当り前で、安定・安心

ある日のニュースでのこと。車椅子の人が電車の乗り降りの時、駅員が介助しなかったと訴えた。そして、駅長さん等が頭を下げて謝罪した。

周囲から大事にされて「手助けされて当り前」という観念になっているとしたら、その車椅子の人は、とても不幸だなと思う。


福祉の充実を取り違えて、「してもらって当然」と威張る国民を増産して、そこからくる不平・不満への対応に忙しい行政。
これでは、豊かな人はできないし、むしり取られるばかりで豊かな社会はできない。

中には、不備や不手際を指摘して、不平や不足を言うことで社会が改善されると思う人もいるみたいだが、改善するのは国民以外にいるのだろうか。


常識観念や社会通念で、みんなが「当り前だ」としているので、「当り前だ」と自分がキメツケている自覚がない。

あてにしてない状態で、物をもらったり、食事や洗濯をしてもらったり、手助けされたり、協力されたりしたら、どんなに嬉しいと思うだろう。
しかし、物が豊富になり、制度や環境が整うと、有って当り前、してくれて当然になる。お金を払ったんだから、自分はこれだけやったんだから、仕事なんだから、約束したんだから、家族なんだから、ここの社員なんだから、規則でこうなってるんだから、・・・・

日常生活の殆どが、「有って当り前」「やって当り前」になっている。自分の当り前の基準を下回ると「無いのはおかしい」「やらないのはおかしい」と不平・不満となる。
「有る物」や「人の行為」が見えなくなる。
「有って当り前」「やって当り前」になると、「物の豊かさ」も「人の行為への喜び」も、どんどん薄れていく。
「豊かさ」や「喜び」が薄れていくということは、「幸福」とは逆方向だということは言うまでもないと思う。

感謝したり、ありがたく思いなさいという精神修養ではない。
有る物や人の行為が、ありのまま見える正常な普通の人になろうということ。


「幸福」には、「豊かさ」や「喜び」は必須条件で、かなり大きな部分を占めると思うが、幸福を願って良かれと思って、豊かさや喜びのない暮らしへと逆行しているのではないだろうか。

「無い」ということを、「寂しい」とか「貧しい」と思う人がいる。
しかし、「無くて当り前」あてにしていない状態というのは、がっかりすることも、不平や不満もない。全てが「有る」「有る」の豊かな状態だと思う。

金が無いとか、人がいないとか、食べ物はご飯しかない、飲み物は水しかない、言った通りやってない、少ししかやらない、あれがない、これがない、と思う人は、自分の基準線以下の物や行為が見えない「上げ底の人」だと思う。
上げ底の人は、すぐに不平・不満・不足が出て、さびしく貧しくなる。
あの人も上げ底だなぁ、この人も上げ底だなぁ、・・・
上げ底の人には近寄りたくないねぇ。喜びあふれる豊かな人に・・・

人間、もともとは底をついている、ゆるぎない安定・安心の上に生きている。
人類幸福の根幹に関わる、簡単明瞭すぎて軽視看過している重大問題と思う。


古臭い文章ですが、よかったら、ご判読の程を・・・→ 豊かさ観 1996
社会の構成要素として 振出寮 も見直して行きたいですね。

Category: < 精神革命 > | 2007.02.02 Friday 11:00

抜本塞源 (頭脳革命) 先ず ここから

認識のメカニズム → 日常生活 自分の見方・考え方
見たり、聞いたり、触れたり、味わったりして、思ったこと、感じたこと、それらが記憶され、蓄積され、今の考え方、性格、生き方、感情などを形成している。

私は、事実を見た、事実 体験した。
・・・これは、その瞬間・瞬間
私が、見たもの、体験したこと。
・・・これは、頭の中の記憶。
どれほど正確に記憶したとしても全く別モノ。

ビデオの例
事実を撮影した。・・・事実とは、時々刻々の出来事。
撮影したものは、・・・磁気テープや磁気ディスク。
出来事は出来事、・・・記憶装置とは全く別モノ。
 (食べ物の写真を撮っても、写真は食べ物にならない。)
事実を正確に再現しようと、ビデオ技術は向上するが、どこまで行っても、過去の事実を推し測るためのもの。
ビデをを見せられると、「事実こうだったんだ」と断定してしまう。或いは「事実を知った」となる。
更に、人間の記憶は、より断片的で、なおかつ、その人なりの捉え方で記憶している。
「事実を見た、体験した」とは言えるが、「私が見たこと、体験したことは事実だ。」と言うところに、大いなる混線があると思う。
過去だけでなく、現在の事実(地球の形、自分の体重、各地の実況、etc.)についても、何らかの媒体を介して、できるだけ事実を正確に推し測ろうとして現わされたもの(別モノ)を見ている。「事実を知った」とは言えない。

今の教育も全部この例。教わったら「事実を知った」となる。そういう人をつくっている。
毎日、毎日、言い合い、主張のし合いが絶えない、今の人の世。
自分の頭の中のことなのに、「事実だ」として言っている。

Category: < 精神革命 > | 2007.01.22 Monday 18:00

一体観と 人間観と

自分なりの捉え方で捉えた頭の中のものと、事実・実際とを分けて観察

                考え と 現象

自分・自分と思っている自分は、頭の中の自分像であるとの自覚が芽生えると、
実際の自分に関心が湧き、焦点が定まり、観察がすすむ

実際に存在している自分、自分そのものを検べる
  肉体的(物質的)精神的位置 ・・・ 空間的観察
  肉体的(物質的)精神的推移 ・・・ 時間的観察

自分・・・生まれて死ぬまでの一人の人間の一生、また、その瞬間瞬間

実際の自分の一生を観察する。人間の一生を観察する。

元来、なかった物・モノ、いなかった人・自分
今、存在している物や人とは何か(成り立ち)、何で出来ているか(組成)。

物質的には何も無くならない、生命は絶えることがない
物も人も、それぞれ個体が生まれて死ぬまでを「生きる」という。

・・・・・・・・・・ 一体観が涵養され、人の見方・人間観が確立されていく

なぜ、ここにいるのか、なんのための人生か、
 人生を理解し、把握し、見届ける ・・・ 人生を知るための研鑽 が始まる

Category: < 精神革命 > | 2006.12.14 Thursday 12:00

よく見る

知るには、調べる。   調べるには、観察する。
しかし、思ったこと、感じたこと、に重きをおいて、それを言っている。
「観察する」とは、思ったり、感じたりすることでなく、「よく見る」こと。

見ているつもりでも、すぐに思いや感想が出る。実は、よく見ていない。
見ているつもりでも、実は、思いや感想をめぐらしている。

「見る」は「見る」。ただぼんやりと見るのではなく、「よく見る」
思ったり、感じたり、してもいいが、しなくてもいい。
要は、よく見ているか、どうか。
「よく見る」ことをしないで、自分を見て、人を見て、物事を見て、思ったことを言っている。

自分を使って「よく見る」練習。日常生活を使って「よく見る」練習。
思うより、言うより、人や物や出来事を、もっともっと「よく見る」。

自分を、近隣の人を、職場を、会社を、家庭を、知るには、先ず「よく見る」
自分を知るには、自分を「よく見る」。そして・・・
人生を知るには、人生を「よく見る」。
社会を知るには、社会を「よく見る」。

2007年 人生を見る 社会を見る 研鑚へ

Category: < 精神革命 > | 2006.10.26 Thursday 00:00

自分は どの辺りにいるか を知る

「自分を知る」プロセス

自分というものがどういう存在であるかを知る
それは、自分の成り立ちを知るということ
それは、自分の本体というか、自分そのものを見るということ
それには、自分に着いた表層のもの(思いや感情・知識や経験 等々)を見ること
それには、現状の自分のありのままを観察すること
それには、人や物に気を散らさず自分を見る練習を積むこと
それは、会話中も食事中も仕事中も、対象(人・物・事)を見るのではなく、自分を見るということ
「自分を見る」・・・この一点に賭ける暮らしを始める。


自分の存在・成り立ちを知るということは、人の存在・成り立ちを知るということ
人の存在・成り立ちを知るということは、社会の成り立ちを知るということ
自分の成り立ちを知るということは、社会の成り立ちを知るということ
自分を知るということは、この世界を知るということ
自分を存在させている世界の大きさを知るということ
自分が受けているものの大きさを知るということ
際限なく多くのものを受けている自分の心が実現する
際限なく多くのものを受けている自分の人生が始まる
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