BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 精神革命 > ――
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Category: < 精神革命 > | 2007.09.19 Wednesday 09:00

「研鑽」とは (添え書き説明)

研鑽セミナーの「研鑽」とは

キメツケのない考え方で、本当はどうかと調べていくことです。
そんなことは当たり前だ、当然だ、誰だってそうだ、としていることも、百人中百人がそうだとしても、それが本当なのか、実際はどうなのか、なぜそういえるのか、と どこまでもどこまでも調べ続けるキメツケのない考え方です。

研鑽していくことにより、何かを信じ込んだり、疑ったりすることがなくなり、だまされるとか裏切られるとかもなくなるでしょう。怒って人を責めたり、落ち込んで諦めたり、優越感や劣等感なども自然に解消されていきます。

本当はどうか、実際はどうなんだろう、と調べていくことによって、過去の記憶や人に対する印象も、自分に対する見方も、どんどん変化し、今まで知らなかった自分に出会うことができ、自分を調べ、自分を知ることが楽しくなっていきます。

素直に、見て、聴いて、話し合えて、その人らしさ自分らしさを調べ発揮できるようになるためのセミナーです。

Category: < 精神革命 > | 2007.08.18 Saturday 15:00

2007.08 自分を知るための・・・

自分を観察する(現象)  自分を観察する(頭の中)
五感について  感覚全般について  思い・考え・気持ち・心 と 感覚
<自分の感覚であるとの認識>

形容について   何を形容しているか
感覚 と 実際 との混線
 時間・時刻  金でものを買う  ルール・約束を守る  「・・・が要る」
<事実そうなのか 自分がそう思っているのか>

見る 聞く 味わう など・・・五感+認識のメカニズム
 五感と認識で「実際がこうだ」と事実化するメカニズム
 「人が決めた事」「自分が思ったこと」を事実だとして、それに沿って行動する
 知識 学説 体験 経験 などを事実化するメカニズム
 事実化していながら、その自覚なく、実際あるものとして暮らしている
        天動説感覚 ====>> 地動説感覚へ
<どのように見て・聞いて・反応しているか>

 感覚−−−>事実化−−−>架空
 実際−−−>感覚 −−−>現実
                 頭の中のこと
 出来事 → 報道   → 出来事を知ったつもり
 気持ち → 言葉   → 気持ちを知ったつもり
 声   → スピーカ → 声を聞いたつもり
 実際  → 映像   → 実際を見たつもり
 実際  → 計測器  → 実際の値を知ったつもり
 実際  → 記録   → 実際を知ったつもり
 実際  → 記憶   → 実際を記憶しているつもり
 実際  → 捉え方  → 実際を捉えたつもり
<実際はどうか、に関心がいくと・・・>

 「事実」の定義 「実際」の概念
 「自分の頭の中のこと」という回路・歯車が動き始めると・・・
 一人の人としての自覚・・・頭の中のことであるとの自覚(芽生える 養う)
 「記憶と事実」
 一人相撲・・・事実化した記憶による事実化した喜び・悲しみ
<自分の考えに自信があるから事実化する>

 そういう自分だとしている自分の考え
 自分の考えとはどういうものか = 自分の位置
 知っているつもりでいる自分(知らない自分)を知らない
 知らない自分であることを知る
 自分を知るスタート  実際を知るベース

Category: < 精神革命 > | 2007.08.07 Tuesday 16:00

研鑚を実用化する研究活動

肉体的にも精神的にも、痛みや苦しみがある場合は、先ずはそれを取り除きたいと欲するのは当然のことだと思う。その為に、医者や医術の力を借りる場合もあるだろう。
痛み・苦しみ・悩み・迷い等にさいなまれている状態で、自分を客観視しようとか、知性を働かせようとするのは、かなり難しいのではないだろうか。
研鑚でやろう、研鑚でやろう、としたけれど仲々・・・という原因は、そういうところにもあると思う。
研鑚会に参加すれば、研鑚できるように思ってきたが、そうではないようだ、研鑚し難い状態の場合は、先ず研鑚のための前準備が要るのではないか、ということで、いろいろと研究を重ねている。

幼少期からなら、素直にまっすぐに研鑚科学する知性を培いつつ、成長することができるだろう。
また、途中からでも、おおよその人は「研鑚セミナー」を経ることによって、研鑚へのキッカケが出来ると思う。
それ以外の人も「内観コース」を経ることによって、自己研鑽へのキッカケができるようだ。
あるいは、別の観点から、瞑想的な手法を取り入れて、自分を重く見ないトレーニングも研究課題としてある。
その他、その他、人の状態・症状というのは、無数にあるだろうから、これが決定版というのではなく、その人、その人に応じた方法の研究が必要な場合もあるだろう。

飛行機の理論はあっても、実用化技術が伴わない時代には、「やはり、飛行機なんて無理だ、駄目だ」とされていた。
金の要らない社会も、実用化の研究が進まないと、「やはり、そんな社会は無理だ、駄目だ」となる。

「人間性や知性の研究」と「研鑚の実用化研究」は、研究所と研鑚ライフセンターという機関があるからこそ、結果や成果をあせらずに一歩一歩、進めていけるのだと思う。


1959年10月「愛和」より
・・・それを転機として、山の研鑽がスムースに活動し始め、一体の理が現象化して来たわけで、本当の研鑽の産みの苦しみには生命が賭けられ、本当の研鑽には生命が吹き込まれていると思う。
 研鑽の理提案は私達だったとしても、本当の研鑽の理を明確に実現化し実用化し、活用出来るようにこの世に産み出したのは生命がけの業績だったと私は思っています。山の人々の中にもこの事実を確認している人が相当あります。


1960年4月「考え方の革命」より
 こうして、けんさん方式に考え方を革命した場合に、現在までに正しいかの如く思いこまれていたものが、続々とその間違を発見される。キメつけの考え方から、キメつけのない考え方への頭脳革命ともいうべきものであろう。
           :
 けんさん方式によると、その頑固さもその弊害も次々と発見され、頑固は急速に減退し、人と人との対立抗争がなくなり正しい社会が構成される。
           :
 このけんさん方式によれば、我執抜きは容易であり、怒り位はわけなく解決し、絶対に腹の立たない人の続々できることも当然のことである。



2006.6.17 研鑚を知らずに・・・

Category: < 精神革命 > | 2007.06.15 Friday 15:00

豊かさ や 喜び

怒り、争い、悩み、憎しみ、闘争心、支配欲、独占欲、優越感、劣等感、・・・等々を、性(サガ)、業(ゴウ)、煩悩、などと呼んで、人間に具わったもの、あってしかるべきもの、という意見には賛成できない。

むしろ、これら(怒り、・・・・、煩悩、など)は、異常、間違い、病的、というべきで、人間本来の姿から外れたものと思う。
精神的疾患の病名みたいなものだと思う。
「こういうものは人間には付き物だ」としている限り、人類から紛争・苦悩は解消されないだろう。
やがて、精神科学や心理学が進歩すれば、これらの疾患にみな原因と療法が見付け出されるだろう。


幼い頃から植付けられた観念の蓄積によって、物や環境や人の行為など、「有って当り前」「やって当り前」になっている。また、自分の頭がそうなっている自覚もない。
生活には不可欠と思うような、電気・ガス・水道・ゴミや排水の処理・道路整備などなど、ずいぶん人も物もかけて用意されている。それらも、有って当り前、うまく行っていて当り前。思い通り行かない時の不満は大きい。

安心・満足を欲していながら、不安・心配・不平・不満がある。
そとに原因を置いているから、不安や不満があるのを異常とも病的とも思わない。むしろ、この状況だから、不安や不満は当然としている。
娯楽番組に浸り、美食で腹を膨らし、酒をあおりつつも、不平や悩みが絶えない。充分な食もなく、教育も受けられない地域の人々とどちらが悩みや不平が多いか比べてみれば分かる。物や教育では不安や不満は無くならない。

不平・不満なく楽しく満足そうにしていても、それは一時的なもので、思い通りになっている状況でのこと。思い通りに行かないと不平・不満が出る。「安心や満足は自分の思いを満たすこと」のように思っている。いつもいつも一時的な満足感を追いかけている。

多くの物や環境や人の行為の中で暮らしていても、殆どが「当り前」で、それ以上のものを得て満足しようとする。得られないと不満となる。


今以上に得られなくとも、今以下になっても、物は無くならないし、無数の人の行為の恩恵を受けている。

人は生まれながらにして、衣食住に恵まれ、周囲からの愛情を受け、安心・満足の内に人生が始まる。そして、精神的に、肉体的に、膨大な物や人の行為を受けて成長していく。
周囲から齎されて受けたものがギッシリ詰まった恩恵の塊のような一人一人。
子どもの頃の嬉々として遊び戯れる喜びから、青年期の血気盛んな躍動する喜び、知性を培い人生の豊かさを知り、人生を重ねる程にその人間的豊かさ生きる喜びは、果てなく増すばかり。

「豊かさ や 喜び」は自分の思いに振り回されて追い求めるものではないと思う。
豊かさ や 喜び はどこにあるか。

Category: < 精神革命 > | 2007.06.10 Sunday 11:00

観る一線 と 幸福度

物や環境が揃えば、豊かになるかといえば、そうでもない。

揃う前は何も無かったのだから、やってきただけ、有るものがあるだけ。
研鑽会も、会社や仕事も、仕組みやサポートも、足りないとか、出来ていないとか、何もない。みんな有るものばかり。

どこを見ているか、何を見ているか、だと思う

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