BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― はじめに ――
1  total 1p

Category: はじめに | 2008.06.29 Sunday 09:00

まとめの意もこめて

解説的に文章化した方が分かり易いと思いますが、「ああ、そうか」とされるのが目的ではなく、本質を見究めようとする人への投げかけとして、あえて エキス だけを箇条書きにしてみました。つまり、このような内容について共に研鑽できる人を求めています。

人間が人間らしく、人間の本来性を発揮して、より良く生きていくには、
人間の考えを幅らせないで、真理を探究し、それに即応していくしかないのではないか
真理に即応しようとする考え方=ヤマギシズム
真理に即応しようとする社会、それには、真理に即応しようとする人。
それには、真理に即応した社会観を見究める。
真理に即応した社会観を知るには、真理に即応した人間観を知る必要がある。
真理即応の人間観・社会観・・・ヤマギシズム
真理即応の人間観・社会観を見究めようとする・・・「研鑽」


人間観・社会観といっても、一般論を言っても具体性・実用性がなく、
それを、見究めるには、自分の中に実在する人間観・社会観を調べることになる。
自分の中の人間観・社会観を知らないで、真の人間観・社会観を調べようとしても、それは抽象的な一般概論を追うだけで、実在する真の人間観・社会観を見る(知る)ことはできない。故に、本当の意味で、真の人間観・社会観を語ることはできない。
つまり、自分の中にある、人間観・社会観にメスを入れて、研鑽の光を当てて、そこに真なるものを見出そうとしなければ、真の人間社会を知ることも語ることもできない。


社会を知るには、人間(人生)を知る。
人生を知るには、自分を知る。
本当の自分を知るには、現状の自分を知る。
過去から現在に至る、現状ありのままの自分を、素直に見て、知る。
いろんな観念や感情が入り混じって、自分を素直に見れない。
自分を自分の思い考えで見て、自分を捉えている。
もっと、ありのまま、そのまま、過去から現在に至る自分のありのままを観察する。
自分自身を純粋客観視できるか、どうか、が鍵。
感情や印象を入れないで、草花の観察のように、自分を観察する。
凡ては、そこから始まる。


ここまで、来るのが難関の人もいる。
現状のありのままの自分を知ることができると、おのずから、自分の本質、真実的な自分を見ることができるようになる。
自分の本質は、当然、人間そのものの本質に通じるもの。
そこから、人間というものを知る。真の人間観。
人間とは、人生とは、・・・・・真の人生観。

真実の人生を見届けたら、訳なく解明出来るのです。
ここから人間の本来性に即した真の人間社会を創造することができる。

Category: はじめに | 2007.06.13 Wednesday 10:00

まえことば

いまさら「まえことば」というのも適当ではないかもしれないが、この研究の目的、私自身の目的は、山岸氏の思想やヤマギシズムではなく、やはり、人間にとっての本当の幸せ、その絶対条件と思われる本当の社会(幸福社会)の実現にあります。

これを読まれる人は、従来の社会生活を営みながら、ご自身の頭の中で、山岸氏の思想やヤマギシズムを理解しようとされるでしょうが、私達は「新たな社会の実現」という活動をベースに論理的究明と方法考案と実践によって、山岸氏の思想およびヤマギシズムを理解し、解説しようとしています。

人間とは何か、社会とは何か、などの根本的な捉え方が、既成観念とは甚だしくかけ離れている為に、一般的な見地からすると、非常に判り難い表現が多いかと思います。

本来なら、一問一答、丁寧にお話するのが筋でしょうし、私も直接会ってお話したいです。
ここに表現されたものを各自の受け取り方で、ヨイとかダメとか早合点しないで、共に調べ合い、研究し合う為のキッカケにでもなれば幸いです。

書いた物というのは、非常にあいまいなものです。
直接、会って、お話すれば、少しは通じ合えるかもしれませんが、それでも、話し合いにならない場合もあります。
行動を共にしたり、暮らしを共にすることで、より分かり合えることがあります。
ヤマギシズムを調べようとすればするほど、自分を調べる必要があり、共に話し合う必要があり、行動を共にしたり、暮らしを共にしたり、・・・・と、おのずと社会化実動へと、進んで行くのは必然の現われと思っています。

心ある人々からの忌憚ない、批判や質問など、お便りをお待ちしています。

Category: < 研鑽の理 > | 2007.05.26 Saturday 10:00

研鑽の実現を

ヤマギシズムの根幹は、「研鑽」にあると思います。
私どもでは、ヤマギシズムに代えて、「研鑽科学」という語を用いています。

山岸さんは、余命を知ってのことか、没する前の短期間に、実顕地と研鑽学校を出して亡くなった。
実顕地も、研鑽学校も、理念と云われている無所有も、一体も、ヤマギシズムから発したものだろう。だが、その逆は云えない。
つまり、実顕地が、研鑚学校が、無所有が、一体が、「ヤマギシズムだ」とは云えないだろう。
ヤマギシズムには、固定もキメツケも無いのに、ヤマギシズムでやろうとする人に固定・キメツケがないだろうか。

釈迦はキメツケのない人だったらしい。だが、周囲・後代の人にキメツケがある。
「釈迦はこう言った」とか「釈迦が言ったことは正しい」・・・と。

シャカは正直、教えもキメツケもしていない最も科学だと思う。
       :
弁証法はキメがないのに、やっている人達はキメがキツイ。

                    (1961.3.14 名古屋にて)

科学や研究そのものには、キメツケる要素はないが、科学や研究をする人にキメツケがないだろうか。
人間の考えは不確かなもので、「これこそは絶対に間違いない」と思ったことでも、ずっと先では、ひっくり返ることもある。
しかし、今日までの人間社会では、子どものころから、正しいとか間違いだとかを教えて、キメツケの訓練をし、その訓練した頭で、キメツケ裁きながら暮らしていく。良いこと、悪いこと、良い人、悪い人、・・・等々。
規則・法律・学問・等々、みなキメツケの上で成り立っている。社会そのものも取り決め・キメツケが無くなれば、混乱するとしている。
してはいけないこと、しなければならないこと、これは誰々のもの、・・・根拠があるとして堂々とキメツケている。
自分が直接見たこと、聞いたことも、教科書に書いてあることも、「事実だ」とキメツケられないのではないだろうか。
キメツケているという意識はなくても、深く強くキメツケが染み着いていて自覚がないことが殆どだろう。

キメツケの社会に育ち、キメツケの頭で、ヤマギシズムや釈迦に出会っても、「ヤマギシズムはこうだ」「釈迦はこう言った」とキメツケていく。

人間を調べ、人間の考えとはどういうものかを調べ、現状のキメツケ状態を自覚し、キメツケのない頭になっていくことによって、研鑚が始まる。
キメツケがなくなると、争うことがない。あれは良いとか、あれは間違いだとか、裁くことがない。
ヤマギシズムを実践するということは、研鑚を実現するということであり、
研鑚を実現するということは、研鑚する頭脳が実現することであり、
研鑚する人による生活行動からなる、研鑚社会が実現する。

Category: < 具現方式 > | 2007.04.25 Wednesday 06:00

沿革 (実証と方法と理念を)

 ヤマギシズムに出会い、「本来の人間性や真の幸福社会」への志向が芽生える人は多くいる。
 それが、その人の中で生き続けていて、強い意志で活動していても、個々の心情や願望や理想の段階のものにとどまり易く、漠然とした曖昧なものを追い求めていることが多い。

   2001年 鈴鹿にて2週間研鑽会を毎月開催
   2001年 鈴鹿にて有志による一体社会を目指しての暮らし
   2001年 理念究明所準備会



 普遍性ある万人に迎えられる人間・社会の実現を希うなら、まず、真理に即応した「本来の人間・本当の社会」とは、どういうものかの解明が必要。

 人間性とは、つきつめると、欲求や感情や観念的なものに流されない知性を培い発揮することであり、それは人や物や凡ゆる事柄を客観的に科学する頭脳、即ち「研鑽」を実現し、実用化することにある。
 人間は研鑽によって人間性を復帰し、人間性を培い発揮することができる。

 研鑽を身につけ実用していくステップとして、まず、自分を知る、そして人生を知る、そして、全ての人が幸福に快適に暮らせる社会を実現するために社会を知る

   2002年 生涯学究制として合宿研鑽会 始まる
   2002年 振り出し寮 始まる
   2002年 一体経営を目指して会社(法人)始まる
   2003年 一体生活調整機関 始まる
   2004年 人間社会科学研究所 始まる



 社会は人が作るもの。人は社会によって作られるもの。
 人間性の復帰と人間性の発揮に主眼をおく人の結束によって、そういう環境(社会)ができる。
 人間性に主眼をおく環境に於いてこそ、そういう人が育ち、そういう人が育つことによって、そういう社会が実現していく。

 ○ 研鑽を身につけ実用できる人になる社会(環境)
 ○ 人間性を培い発揮する社会(環境)

 真の人間性発揮、即ち「真の幸福」の実現を第一義とする社会環境(制度・機構)が実現されていく。
     :
     :
   2006年
   2007年

研鑽科学研究所
 人と社会を科学する 人間社会科学研究所

研鑽ライフセンター
 自分を知り、人生を知り、社会を知り、真に自己を生かし、発揮する
 生涯研鑽生活制度

研鑽社会化活動
 研鑽を身につけ実用化する社会生活
 人間性の涵養を第一義とする制度・機構・運営・産業・教育・文化
 物心豊満 親愛の情 溢れる 研鑽コミュニティ



 それのやれる方法さえ生まれているという事。こんな人さえ、なれたという実証と、方法と、理念を、打ち出せば、今まで分からないと云われていた事が早いと思う。
 問題は S さんの云いつくされているのに、喰い違った観方の出るのは何か、経済的に行き詰まった中にも、気にしない中に脱却された事実は何かと、余り難かしく考えない方がよいと思う。近いので忌憚なく云うと、まるで「出来ないやないか」「あんな事でどうや」と出来ないのを望んでいるように見える。
 もっと見る立場を変えて、目のつけ所を変えると、そこにはないと思う。
 理想社会は、二人三人、村中を考える、その前があると思うの、一体社会は、持っている人から見たら、いつ迄も理解出来ないものと思うの。全部放すことからと思うの。一体社会はどこにあるか。
 考えたらうんと近い、簡単に考えたら早いのに。
 自分の考えを持っているのを放すこと。経済的に行き詰まるだろう、何時の日に出来るやら、二人三人それ以上それを持っていたら、いつ迄も判らないと思うの。

イズム理念徹底研記録 第一回その一   1960.7.21

Category: はじめに | 2004.09.02 Thursday 20:00

は じ め に

 私は、1971年にヤマギシズムに出会い、それに強く惹かれ、共鳴するものを感じて、今日まで、ヤマギシズムに関わる活動を続けています。

 始めは、既にある山岸会やヤマギシズムという名の組織や活動や先達の人を通して、ヤマギシズムを知り、学び、同調の人々と共に実践してきました。

 その中で、山岸巳代蔵氏が遺した著述や口述などに触れるようになるにつれて、既存の山岸会やヤマギシズムという組織や活動には見られない山岸巳代蔵思想というものを強く感じました。

 既存の組織や活動は、ヤマギシズムから発したものだが、その実は表層的・断片的であったり、観念的になっていることが多く、ヤマギシズムから外れていることも随分あると思うようになったのです。

 以後、組織の運営や活動よりも、山岸巳代蔵思想とヤマギシズムそのものに興味を抱き、それの解明・研究に力を注ぐようになりました。

 私が感じているヤマギシズムの真理性を一言では言い現わせないが、ヤマギシズムは哲学的・科学的な理論としてだけでなく、適切完全な方法を伴い、実現を以って実証に至るまでの一貫したイズムであることを、伝え届けたいと思っています。

新着記事 へ進む>>  ヤマギシズムについて>>  プロフィール >>
1  total 1p
▲ page top