BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 4.初期 〜「無所有一体」行動に至るまで ――

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Category: <無所有一体へ> | 2005.02.23 Wednesday 21:33

4.初期 〜「無所有一体」行動に至るまで

ヤマギシズムに共鳴する人たちによって生まれたのが山岸会である。
ヤマギシズムは、研鑚方式によって、凡ての事柄について、決めつけなく本当はどうかと検べ続ける考え方である。
ヤマギシズムによって見出された理念についても、それは研鑽の過程のものであって、決めつけることなく、研鑚し続けるものであって、最終の結論ではない。

例えば、人間の本当のあり方について、研鑚していくと、
「怒り・憎しみ・我執・我欲など無いのが本当の人間の姿ではないか」とか、
「仲良く楽しく豊かに繁栄していくのが本当の人間の姿ではないか」とか、
「全ての人が生まれてから死ぬまで幸福一色であるのが本当の人生ではないか」とか、
「権利・義務・監視・罰則・所有・国境など無いのが本当の社会ではないか」等々の考えが出てくる。
そのような人間や人間社会の本当の姿の元になるものとして、「宇宙自然万物一体の理」「自然全人一体観」「無所有・共用・共生・共活の理」等々の理念が出てくる。
これらは全て研鑽の過程のもので、検べながら検べながら研鑚し続けるものである。
このような人間や人間社会のあり方や、その元になる理念が見つけ出されるにつれて、気持ちや考えが、その方向を指向し、実現・実践の行動に現れるのは、当然のことと云えるだろう。

1953年 山岸会発足
1956年 特別講習研鑽会開催
1958年 百万羽養鶏構想のもと、理想社会実現を志す山岸会会員が、全財産を持ち寄って、家ぐるみ家族ぐるみ、三重県に集結した。

山岸会では当初より「一体」ということは謳われ、会員に浸透していたと思われるが、それは、山岸会の中の一体とか、会員同士の一体ということでなく、ヤマギシズムの研鑽からくる「自然全人一体観」である。
「一体」という語は、他でも使われていると思うが、直接的に関わりのある物との間柄のことの表現だったり、思いや行動を同じくする人達の間柄を表現していることが多いのではないだろうか。
物との一体、人と人との一体を感じたとしても、場合によっては関係ない物と思ったり、関係のない別の人だと思うようになったりすることや、時には敵対するようになってしまうこともある。このような「一体」は、「一体」と呼んでいるのみで、部分的一体、一時的一体、便利一体、等であって、本当の「一体」ではない。
「自然全人一体観」の「一体」とは、いついかなる場合も、人類そのものが、この世界そのものが離れようのない「一体」であるという意味である。
「自然全人一体観」に立って見ると、どんなに広く大きい一体の組織や堅い間柄に見えても、気の合う人とだけ仲良くしたり、必要な物だけ大切にしたり、等々、隔てや囲いや枠があるものは「一体」ではないことが分かる。
共同体や協同組合や共産国など、その中では「一体」かもしれないが、外と内との隔てのあるものは、本当の「一体」ではない。一時的一体や部分的一体であることが判明する。

ヤマギシズムの研鑽によって見出されてくる「一体」は、どこにも一切の隔てのないもの。
この「一体」が明らかになってくると、人間同士が国境を設けて争っているのは勿論のこと、人と人が離れて反目している等々にとどまらず、個々に所有し、自分の物だとか、他人の物だ等と、囲いを固く守って暮らしていることの実態があらわになってくる。
どれだけ協力し合って、仲良くやっていこうとしていても、私有や共有の「所有社会」の中で「所有」を肯定して暮らしていては、本当の「一体」の世の中が実現しないということが分かってくる。

所有の無い世界、「無所有一体」の世界が見えてくる。
凡てを放し、何も持たない、楽さ、軽さ、自由さの中で、本当に人と人とが隔てなく溶け合って、永遠に仲良く繁栄していこうとする生き方が始まる。

「無所有一体の人間社会」を目指しての「無所有一体」行動に至る。
1958年 三重県伊賀町春日山にて、「無所有一体」を志す人たちが集結し、生活が始まった。

但し、「無所有」という言葉は、後に山岸氏から出たもので、この時期の資料や記録などには「無所有」の語は見当たらない。会員の中でも「無所有」という言葉は使われていないようだ。
「無所有」という言葉は出さないで、そういう実態に向けて進んでいたと思う。

つづく
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