BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽 と 盲信 ――

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Category: < 精神革命 > | 2005.08.08 Monday 08:32

研鑽 と 盲信

山岸会・特講・研鑽学校・ヤマギシ、でやってきたことは、
正しく本当であろうと思われる人間や社会のあり方・考え方・生き方等を調べて実践することで、
そういうことをひっくるめて、「ヤマギシズム」とか「研鑽」と呼んでいたように思う。

しかし、本当を見つけ出して実践することが、「ヤマギシズム」や「研鑽」ではなく、
「ヤマギシズム」や「研鑚」によって、本当を見つけ出し実践することだと思う。

この差異は大変なもので、「ヤマギシズム」や「研鑽」の根幹を外したまま、「ヤマギシズム」や「研鑽」をやっているつもりでいた、ということにもなる。

自分が本当だと思ったことを実践する。
このことが既に「ヤマギシズム」や「研鑽」から外れているとも云えるだろう。
自分の考えによる自覚のないキメツケ、信じ込み「盲信」が、ベースになっている。
研鑽会で満場一致になる場合は、自分の考えを盲信(盲信=自己盲信)するひとりひとりによって、一つの決定が下されていることが多いのではないだろうか。
自分で良いと思ったことやるのは独走で、みんなで良いと思ったことをやるのは集団暴走行為だと思う。

キメツケているという自覚はなくとも、自分の考えで良いと思うことに重きを置く盲信者が、いくら寄って話し合っても、集団盲信を膨らますだけ。

「ヤマギシズム」とか「研鑽」という言葉は随分使ってきたが、その根幹を全く知らないでいるのかもしれない。
自分の考えで、信じることも、疑うことも、批判することも、裁くことも、できないのが当然で、そういう根幹なしに、「真目的を目指す」とか「あれが本当」だと裁いていては、小集団化して、反感・対立・壁ができるのも当然だと思う。

自分の考えを信じてキメツケる、盲信体質に一刻も早く気づいて、
気づいた人から、研鑽体得の道をゼロから、歩みたい。
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