BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 手段と目的 ――

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Category: < 世界革命 > | 2005.07.21 Thursday 08:27

手段と目的

仕事をするのは手段、子育てするのは手段、研鑚会するのは手段、やることなすことが手段。
で、目的は何か。目的があるから・・・をする。目的の為に・・・をする。目的がなければ、やらないだろう。
その目的とは何かというと、言葉では云えても、実態がない。漠然とした曖昧なもの。
やること(手段)は、ハッキリあるのに、目的が曖昧? そんなことあるか? オカシイぞ!!
「この道を行けば確かダ」と云う人が、「で、何処に着くの?」と尋ねられて、「知らん!」と云っているようなもの。

「それはやらなきゃいかん」、「それはやってはいかん」というくらいに、ハッキリ云う人でも、何故か、何故か、何故か、と問うて行くと、何故「やらなきゃいかん」のか、何故「やってはいかん」のか分からんようになる。

目的(そうなること)を願って、やっているのだから、目的のための手段になっている筈だという思いから、やることに一生懸命になれるのだろうか?

そういう思い込みの、おかげ?なのか、やることが目的になって、やることがやれたら、まるで目的を達したかのような喜びや満足感があるらしい。

仕事がうまくやれて良かったね、利益が上がって儲かって良かったね、子どもが育って良かったね、研鑚会が楽しく繁盛して良かったね、・・・・皆それを目的にしている人にとっては、さぞ良いことづくめでしょう。

でも、こちらから、観ると、それがどうしたん?  あーそれからどうした!? というものにすぎない。 何か本当の目的と関係があるのかな?・・・と。

仕事をする人が「仕事するのは目的でない」
子育てする人が「子育てするのは目的でない」
研鑚会する人が「研鑚会するのは目的でない」

などと、云ってたら、さぞかし顰蹙(ひんしゅく)を買うだろうな。常識社会では叩かれるだろうな。

本当の目的を「目的」に置かないと、本当の世界にならない。
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