BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― ひとけんさん ――

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Category: < 人 間 理 > | 2005.07.05 Tuesday 08:22

ひとけんさん

先日の土曜と日曜に研鑚会をした。のべ13時間くらいかな。

「どういうことをやっているか」とか「どういうことを言った」とか・・・日常の関心は、ほとんどが目に見える部分に偏っている。
「どういう心の状態か」を大事にしているようだが、実はほどんど無関心。
「心の状態」が言動に現れていると言うのなら、言動から「心の状態」に関心が行くはず。

楽しそうでも、悲しそうでも、元気そうでも、しょんぼりしてても、バリバリやっていても、ダラダラしてても、その「心の状態」を観る。
「心の状態」とは、気持ちや感情ではない。

一体、楽、軽い、明るい、持たない、溶け合っている、殻がある、我執・我欲・頑固、キメツケ、独走、・・・
凡て心の状態のこと。頭で意識して、どうこうするものでもない。
どういう心の状態の人かを観ることになる。
「無我・一体・理念・真実・研鑚・・・・」などを理論・定義で言っても伝わりにくい。
そこで、直接、実在する人物で、実名をあげて「この人のこういうところ」というと分かり易い。

僕が、実名をあげて言うのは、そういう理由。その人その人の心の状態を観てのこと。心の状態のことを見方・考え方で言っても殆ど伝わらないから、名前をあげて説明。

頭の中の理想や目的、気持ちの暖かさや熱意、信心深い一途さ等々、では駄目。

人は「心の状態」が肝心。何をやっていても、どんな「心の状態」か、がポイント。そこに焦点を当てていると、人の「心の状態」が観えるようになる。
おてんとうさまには、お見通しと言うが、本当に「心の状態」を観ている人には観える。
価値観がそこにある。他のことに価値をおかない、関心がない。「心の状態」こそ、人間に最も大事なもの。

一人一人の心の状態にだけ関心があり検べる機関。「心の状態 研究」 これは「人間理」になるのかな。
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