BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― ケンサン学校を斬る ――

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Category: < つれづれ > | 2009.10.01 Thursday 00:00

ケンサン学校を斬る

竹本さんが、あるヤマギシの村人への感想を寄せてくれました。
自分の中でぐっと来るものに焦点をあてて、その奥のものを探る手法は宗教的。
感覚的なものや実感を事実だとする進め方はまさに宗教。
現実感を事実にする根拠は、「係りが “事実ではないか” と言ったから・・・」では外のものに振り回されているだけ。
それでは宗教そのものからの感人種が出来るだけかな。
「研鑽学校3」の中に研鑽の実在が見当たらない。
「研鑽学校」に研鑽が無い、そんな思いを強くした。 
研鑽が無い「研鑽学校」に参加希望が多いのは?
係りも参加者も、やっぱり本質・本来を知らない、理解の浅さなるが故なのかな!
秀逸な分析だな、と思った。
心を深く探るのは良いが、人間の考えであるとの自覚がない人が、心の奥に出会ったり、霊的な体験をすると、教祖か信者になってしまう。
ヤマギシ・心の啓発系・他の新興宗教、だいたいそんな感じかなと思う。
ヤマギシでは出会いや感動を「研鑽」と思っているみたいで、タチが悪い。

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