BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 自発的服従による組織 ――

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Category: < つれづれ > | 2009.09.11 Friday 09:00

自発的服従による組織

最近、研鑽科学研究所で、よく話題になる。
(8月9月の研鑽科学サロンのテーマにもなっている)
「自発的服従」・・・主体が自己の自律性を確信していながら、客観的には他者や制度に知らぬまに服従していること。
(自発的服従は、組織存立の基本的なメカニズムという説を唱える人もいる。)

まあ、飼い馴らされた愛国心みたいなものかな。
他からの強制ではなく自発的だから、服従しているという自覚がない。
自発的服従にも積極的なのと消極的なのがあるから、組織では積極的に服従している人が重宝がられ模範となり実権を握る。
自発的服従しているのを自発的意志でやっていると思い込んでいる状態。
青年の研鑽会を開催したことを大問題にしてる人がいるらしく「kazukiはクビ、大学部おとりつぶし」にまで話は及んでいる。その理由は「相談なしで勝手にやった」からとのこと。
でも、この理由は大ウソ。でも、大問題にしている人自体、自分の大ウソに気づかず、マジメに「相談なしで勝手にやった」を問題にしているらしい。アワレ・・・!!
本庁の寄り合いでも「相談なしで勝手にやった」ことについて、大マジメで物議しているよう。そういう論点(テーマ)にしてしまうと、事態を聞いた多くの人は、そのことで意見を言い合い、そのことの裁定をしようとする。
大問題にしている人は、自分が大問題にしている自分の本音すら見えない。
Yさん曰く 「いくら良いものでも入れてはダメなものはダメだ。」とか・・・この人は正直な方かな(韓国では相談なし独裁でやってるもんな・・・)


 天理教、大本教のように団体になってるものを宗教というが、そうでなしに各自信じてかえりみない、他を入れないもの、キメつけてこれだというものを宗教といえる。
 みんな一人一人にあるやろ。自分が自分に教えてるもの。そして人にこれが正しいよと云うもの、教えるものね。この宗教定義第一やっておくこと必要と思う。
(1960.8 第二回理念研より)

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Comments

豊里 大晦日さんへ
生命活動は理に即して健康に生きようとしているのに、自分で自分をあやめようとする人もいる。
『暴逸』とか『狂いから起る間違い』という表現があるけど、他に幅るのも、自分を縛り押し付けるも、自由意志だ・・・ではかなわんなぁ。
『人間的自尊心の忘却症状』かな。
自分が自分に教え(言い聞かせ)て、ごまかし諦めている。
知恵ある人間にしては、あまりにお粗末。辱しい。
自発的服従である状態なのに、それを真の自由だと思い込んしまう。
特に組織とか社会で暮らすにはルールがいるからね〜。
(結構、その方が、ラクでいいかもよ〜)
それでは、本当の自由が永遠に分からないまま、人生を終えてしまう。
たぶん、そういう人がほとんどだと思う。これは僕も含めてかもしれないが・・本当にそれでいいかは、これこそ、本人の自由意志かなぁ。

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