BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 批判と悪感情 ――

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Category: < つれづれ > | 2009.09.03 Thursday 07:59

批判と悪感情

世に「批判」という行為は随分あるが、
果たして、「冷静な批判」というものがどれほどあるだろうかと思う。

人の行動を見たり、発言を聞いたりして、「自分の考えとは違う」「賛成できない」「おかしい」と思うから批判するのだろうが、
その様子を見てみると・・・、
自分の考えを通して、人の行動を見たり、発言を聞いたりして、見た瞬間(直後)、聞いた瞬間(直後)に、「えっ?」とか「なにっ?」という感情が出る。
それが既に悪感情で「癇に障る」(かんにさわる)というヤツだ。
その後で、相手の言動の非を突く批判を言う。
そして、聞く方は、その批判の内容に耳を傾けている。

この批判という行為を眺めてみると・・・、
先ず初めに、カチンと頭にきて、「気に入らない」「癪に障る」と言えば正直なんだけど、それではカッコ悪いから、その悪感情をカムフラージュして正当化するために、相手の非を突いたような、もっともらしい理由付けが批判という形になってるのだと思う。
テレビなどで、政治家や著名人と云われる人が、討論したり、他を批判する場面を見ても、内容はともあれ、その構造は殆ど同じではないかと思う。
批判そのものを問題にしているのではなく、批判は大いにすべきだと思うし、「あの人は批判的だ」などと、それだけで人を批判したりしないで、冷静な批判をし合いたいものです。
批判:(事に検討を加えて、判定・評価すること。⊃佑慮斉亜仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。
鈴鹿に来る前、来てからも、こちらが批判された例も数々あるが、「冷静な批判」というものにお目にかかった気がしない。
いくら隠そうとしても「気に入らない」「癪に障る」という悪感情が見え見えで、どれも、こちらのことが「よほど気に喰わないんだなぁ」と感じる批判ばかりです。

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Comments

コメント ありがとう。
ヤマギシ組織は、研鑽(ヤマギシズム)とは関係ないところへ行ってしまったようなので、殆ど関心ないです。
このブログ 表現のまずさかな? 悪感情っぽいコメント多かったので、2年半前に終わりにしました。
よろしければ、
http://yuji-sugie.main.jp/ の方にいろいろ載せてますので、どうぞ、よろしく!
ヤマギシの会員のサルと申します。

批判 よく聞く話ですね。

時々実顕地の人と話しても『この花ファミリーはヤマギシを否定するから 批判するから嫌だ』なんてメンバーに会ったりもしますが

批判されたくない とか否定されたとかの段階で 聞き方がずれていると感じます。相手の話を正確に聴けていないというか…

相手が言ってくれる事の裏側を忘れているというか… そう感じます。上手く書き込めずにすいません。

またお邪魔します

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