BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 第2章 研鑽 ―― 事実・実際はどうか ――

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Category: < 研鑽の理 > | 2009.08.21 Friday 14:17

第2章 研鑽 ―― 事実・実際はどうか

 人間が物事を認識するということは、その人の中に形成された「捉え方」(認識のし方)によって、その人なりに捉えているということであり、つまり、自分が何かを認識するということは「自分なりの捉え方で捉えているとの自覚」が必要だと思う。
「事実・実際はどうか」
 これは難しいことでもなく、日常的に誰でも「事実はどうなんだろう」「実際はどうなんだろう」という関心や欲求が起こることはたくさんあるだろう。しかし、自分は事実を知らない、実際はどうか分からない、という意識のときには、疑問や関心があるが、いろいろ調べたり、確認したりすると、「事実はこうなんだ」「実際はそうなんだ」と、知ったつもり、分かったつもり、になってしまわないだろうか。
 どこまで調べても、いくら確認しても、「自分なりの捉え方で捉えているとの自覚」があると、自ずと「実際はどうなんだろう」という関心や知ろうとする欲求は尽きないと思う。
 1.言葉と事実・実際
 2.原因・理由と事実・実際
 3.人の言動と事実・実際
 4.社会と事実・実際
 5.自由・平等と事実・実際
 6.人間観と事実・実際
 7.人間の考えと事実・実際
 他の動物と同様に人間も大昔は、気象条件など自然現象に順応しながら生息していたのだろう。人間には探究したり創作したりする頭脳と技術がある。あるがままに順応するだけでなく、物事を解明し、発見し、考案し、新たに生み出す能力を具えている。頭脳は現実に存在しないものを空想し、想像し、現実化することもできる。
 物質文明に於いては、農耕や栽培を知り人類の生存や健康を確保したり、空を飛ぶことを空想し、想像し、現実のものにしたり、自然科学・物質科学の分野での解明、発見、考案は、完成・終着がなく、どこまでも進んでやまないように見える。
 どんなに人間の考えで「太陽の存在はこうだ」「月の動きはこうだ」「分子や原子はこう動いている」「鯨はこの海で生息している」「この花は何月何日に咲く」・・・等々を唱えても、人間の考えであるから、実際の解明が進むと簡単に覆る。物質科学の分野では、主題は物質であり、どんなに人間の考えで「こうだ」と断定しても、事実・実際に適っているかが常に問題になる。
 動植物の生態や自然現象、物質の性質や状態は、人間の考え通りにはならない。人間はそのものを解明して、それに即応することによって、それらを活かし用いることができる。

 一方、人間の頭脳は空想、想像から、偶像、崇拝、信仰・・・・・、神、絶対者などを作ったりもする。前項で述べた、法律や所有やお金なども、人間の考えで作ったものである。
 人間や人間社会というものは、人間が「こうだ」と決めたことに合わせて、動こうとする、社会を営もうとする。「人間はこうあるべきだ」「社会はこうあるべきだ」とされると、容易には見直されない。それは、「人間の考え」で決めたことが実際に存在するものであるかのような「人間の考え」になるからだと思う。前述した、集団による「観念上の事実化」である。それの繰り返し・積み重ねによって、ますます、事実・実際から遠ざかる「人間の考え」になっているのではないだろうか。
 大昔には自然界の事実・実際に即応するしかなかった人間が、頭脳の働かせ方によっては、どんどん事実・実際から遊離した人間になってしまうかもしれない。
 人間は、「実際はこうだ」とする固定の観念状態にもなり得るし、「実際はどうか」と固定のない研鑽状態にもなり得る。

第3章 研鑽 ―― 本来・本質・本当はどうか へ つづく

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