BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 第1章 研鑽という考え方 ――

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Category: < 研鑽の理 > | 2009.08.11 Tuesday 11:40

第1章 研鑽という考え方

 研鑽という言葉は、学問や技術を深く究めるという意味に用いられている。英語では、profound study と訳されている。
 私どもが用いる研鑽という言葉は、「研鑽する」という行為としての動詞的な意味もあるが、「研鑽という考え方」という意味も指している。それは、「研鑽できる状態」ともいえる。
「研鑽という考え方」「研鑽できる状態」があってこそ「研鑽する」ことができる、とでも言おうか。
ここでは、まず私どもが「研鑽」と呼んでいる「考え方」「状態」とは、どういうものかについて述べてみたい。
「固定観念」という言葉があるが、「固定する考え方」「固定の観念状態」は、研鑽とは逆の状態であり、研鑽とは、「固定のない考え方」「固定のない状態」とも言える。
「固定する考え方」があると、いかに深く探究しても、どこかで、「分かった」とか「こうだ」と断定する、固定する。つまり、探究が止まる。
 知った、分かった、できた、それは正しい、それは間違いだ、これが事実だ、これが本当だ、これが真理だ、・・・・等々のように断定するのは「固定する考え方」があるからだと思う。
「研鑽という考え方」は、「研鑽できる状態」と、前述したが、「固定する考え方」は、「研鑽できない状態」と言えるだろう。
 また、そう考えると、「研鑽という考え方」は、いかに深く探求しても、「固定できない状態」と言えるのかもしれない。
「固定のない考え方」「固定のない状態」では、何も決めることができないかというと、そうではない。物事を決めても、判定・判断しても、結論や結果が出ても、そこに「固定のない状態」。いつでも見直したり、検討したり、変更できる状態。

 人の世の現状は、「固定する考え方 一色」と言いたい程、「固定する考え方」が主流をなしていると思う。また、それ故に、「固定する考え方」をしているという自覚のない人が殆どだと思う。
 喧嘩や争いが起きるのも、人を咎めたり裁いたりするのも、「固定する考え方」「固定観念」が無ければできないことだろう。
 人間が決めたことを固定し、それを守ろうとする。そうすることが、正しいことだ、良いことだと(固定)されているから、「固定のない状態」などは、とても考えられない。そんなことをすれば、世の中が滅茶苦茶になってしまうと思う人も多いだろう。
 これは、「固定のない状態」というものを知らないから想像もできないのだと思う。「固定する考え方 一色」の周囲環境の中で生まれ育ち、幼い頃から固定することを身に付けてきたからだろう。

 冒頭に述べたように、研鑽とは深く探究するという意味である。研鑽は、有能な学者や技術者だけのことではなく、誰にも具わっているであろう、幸福を希い、物事の本質や健康正常な真の姿を知ろうとする自然な知的欲求の発露でもあると思う。
 ここで繰り返し「研鑽という考え方」「固定のない考え方」を強調するのは、今の世の中では「固定する考え方」を身に付けてしまい、人が歳を重ねるにつれて、幼い頃の自然な知的欲求が失われていると思うからである。
 人間は、固定の観念状態にもなり得るし、固定のない研鑽状態にもなり得る。
「固定のない状態」「研鑽という考え方」について、順を追って述べてみたいと思う。

 つづく

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