BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 私の倫理  私の社会倫理 ――

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Category: <山岸さんの声など> | 2009.04.27 Monday 09:00

私の倫理  私の社会倫理

山岸式養鶏会会報創刊号より    發信寄稿録の中から
同行愛農會の諸兄姉に   和歌山県海草郡紀井村小豆島 愛農會本部へ
 東北より九州に至る全国愛農会のよき指導者、推進会員諸兄姉千数百氏を向陽校にお迎えし、私の日頃抱懐している一端を述べさせて頂いたことを光栄に存ずるものであります。
 私は当日も申しました如く、古今を通じて最大の欲張りを持って任ずるものであります。またかくあらんことを欲するもので、人生ある限り、百万年の生命、無限の存在を確信し、日常茶飯事にも永遠に大きく生きん事を心するものであります。私は拙ない私の養鶏寸話を、一億円のお土産と、自ら勿体付けました。しかし決して誇張する意味でなく、現実、当座の一億円であって、種子一億円を持参し、これを各地方地方へお持ち帰り下さって、皆様方の尊い御手によって地に下ろし、御愛育願い、同心の方々に広く御分譲下さって、一粒万倍に、地上に花を咲かせ、穫って、もって実を心身の糧にして頂く事を念願するものであります。
 山岸会では母子系図を作成しています。親から受けたものをその子孫に与える。会への導きをされた人を親とし、その親の心になって子孫に伝える人を、その親の子としています。性別・年令・国籍・賢愚・学歴・地位・身分を問わず、親はいつまでもこの系図から消えず、子のまたない良き親となって頂いているのです。

 私の倫理「親は飽くまで子に資するもの」、枯木となって、朽ち果てるとも、子に尽くし、子孫の繁栄を希うものとしております。子は自己の延長である。この身は永久に絶えない。交代身が子で、しかも社会連鎖の形で子孫に自己が生きているのであり、子孫の繁栄・幸福は自己を全うすることであります。親は子に与えて、与えて、持てる限りのものをなお与え尽くして、子から親に対する報恩は決して求めない。唯願うことは、それをその子に、子は孫に与え、自己の欣悦の日常は子孫の欣悦に共通する繋がりを明示して居ります。

 私の社会倫理「自己より発し、自己に返る」、これは心理学的に証明出来ますが、また物質に結び付いた物質面から説明するに、実在数理で割り切ることが出来るのであります。私は本編では、永年職業としていた関係上、養鶏を取り上げておりますが、養鶏そのものは社会構成上実に微細な、取るに足らないように見える分子に過ぎませんが、この一事を引出しまして例えて試ましょう。
 暗夜に艫を漕ぐと申しましょうか。自分では善いことをしていると信じて渾身努力していることも、案外逆艫を漕いでいる場合があり、舵取りが悪いと目的の方向へ進まない事もありますし、方向を間違えて堂々廻りをして彼岸から遠ざかっていることもあります。
 養鶏に限らないわけで、何によってでも、彼岸に達すれば良いが、私達はその手段として養鶏を取り上げた場合も、目標を違えないよう、堂々廻りをしたり、額に汗して逆艫を漕ぐ愚かさは止めたいものです。目標、彼岸とは何か。愛農会の地上天国、私達の月界、字句は異っても意は帰一するもの、人間皆同行なるの所以です。この養鶏法も舟を進めるための艫でありまして、逆艫とならないよう心掛けたいものです。艫を揃えて、子孫と共に天国に楽園を造りましょう。
 
 その艫は何処にあるか、遠い処ではなく探す必要のない手近にあり、既に各自手にし、正に手にせんとしている方々です。愛農会の農法にあり、私達の養鶏法にもありましょう、これを組み込んで頂き、第一期計画一千万石の米を増収するにあります。
 一足躍びには参れません。先づ周囲の水から後へ排除しなければなりません。各自の農地で今まで六俵収穫していた米を七俵にすることです。これは空論ではなく、私は私なりに拙ない農法を持って居まして、私達幼稚な技術を以ってしましても既に決定した実績であります。そして今日本での不足量一千万石を解決出来るのです。
 麦は肥で作れ、稲は土で作れが、五年前私の農業第一課に野村技師から教えられた言葉で、浅い私の実験では、稲は土で作れ、土は鶏糞で造れを立証しています。土の色が変りましたし、土の組織も膨軟になり、これならば誰が栽培しても無病多収は自慢にならない美田になりました。
 先づ供出問題が解消します。部落の農民間の感情・気風も和らぎ、政府集荷米の増産を要望するようになりましょう。もちろん今の米価は間違いで、質もよくなりますし、増産するに足る、私達農民を加えての適正価格も、決定されるか、流動価格になり、二重ルートが無くなり、生産者と消費者の心裡も明朗となります。
 それから鶏卵肉の増産の点ですが、既にその販路を憂慮される向がありますが、価格を引下げる事によって生産農家も消費者も常食化し、全日本人の心身を健全に保ち、菓子に料理に、工業原料等に使用し、物資の豊満から所有心理の緩和転換は、世界の印象、乞食・強盗の汚名を抹消し、自己を含む全世界の平和と安定を、剣を把らずして実現するものであります。世界の何地にか、心裡的に或いは物質的に、その両方なればなおさら、充たされない人々があることは世界の不幸であり、世紀の恥辱です。左様なことで戦争する人々の名を後世の人達は尊敬称讃するでありましょうか。
 食べた上に食べることは苦しみで、食べ切れない物量を倉に山積して、物乞い・物盗りに責められ、物を護るための番人で一生を終るよりも、皆で多く生産して、物が豊富で何時でも欲しいだけ得られる、盗る必要のない、盗って持たされたら困る社会を実現して、その世界で人生を楽しみ、安住しようと主張するのです。
 働かずして卵肉が無限に生産され、空気や水に近い状態で用いられる仕掛けを唱導するのです。
 全国的に柿が豊作なれば、誰も隣の柿に目を付けない。播いた種が稔って、開いた口中へ落ちる、“自己より発し、自己に返る”仕組みを推奨致し度いのです。化学食品が取って替わるまでは食糧は私達農民で解決し、先づ各々の家計と日本の経済を安定せしめ、よき一員として、ひいては世界のよき同行となりたいと存ずるもので、それに生きがいを感ずるものであります。
 私はこの養鶏法を、自己のみにして行いますなれば、おそらく個人としては富めることを知っていました。しかしそれは実に小さい出来事に過ぎないことも解りますし、それは一時的(現世自己及び自己の周囲の)物質的繁栄であって、永遠に生きるには余りにも瞬間の栄華の悲哀を感じ、“愛児に楽園を”贈るものでないことを知るのです。私達はそこに心を置きますが故に、個人のみ富むことを願い他を顧みない近視眼的な人達を敬遠し、その心を同じくする方々に御実行と御紹介を願い、全日本農業の健全化に資するものであります。一面、国の運営経費に於きましても、一部特定の人達を富ませ、それ等の人々の担税に依存するものでなく、各人が各人の協力社会の一員としての責任において負担し、国際安寧保秩及び学術研究・資源開発・世界福祉の増進等に要する資金も応分に分担し、少数の国々の厚意に甘んじてはならないのであります。而して自己及び心を等しうする人々及びそれ等の児孫に、平和と幸福を齎す世界の実現に協力し、“われ、ひとと共に繁栄せん”に徹するものであります。
 決して他人の犠牲を求めるものでありません。共通の目的を持つ、あなたのためにあなたが、私のために私が、を結集して、最も合理的に、最も効果的にそれを顕現するにあります。貴重な数時間を、飼養法の技術面に関してのお話は三十五分間に止め、他は経営法に、特にその大部分の時を精神面の、一見ムダ話に費しましては恐縮に存じておりましたが、会場の空気及びその後陸続お寄せ頂く御言葉は永遠の心の知友を得たことの悦びを感じ、愛農会も私達と同じに精神を根源とした、人間の尊さを自覚した人々の結合体であることを知り、同じ途を行く、即ち永久に一心同行たらんことを念願するものであります。そして乏しい私達の持ち物の中にも万一御役に立つものがありますなれば、御用いになって頂きたく、私達はそれを願って止まないものであります。
 私達の養鶏法で育雛する場合、全く放任式で、先づ100%近く育ちます。雛が死なずに皆育ったからそれでよいと致しません。その雛がその鶏一生健康でよく稼いでくれることを望むのです。よく儲けてくれることを望みますが、同時に米麦等の増収をも目指すのです。
 それから鶏卵肉と米麦等の増産を目標にしますが、よく産み、よく穫れ、よく儲かっても、それでよいとしません。欲が深いです。即ちこれが目的でなく、よい社会を造る手であることは先にも述べました如くで、殺人剣にして貰ってはちょっと都合が悪いのです。私は行者の常、満身創痍ですが、返して頂かなくて結構です。後進子孫に伝え与えて下さるように切にお願い致します。
 この農業養鶏は、昭和24年に名付け、私の古い専業養鶏から生れたもので、山岸養鶏法の中には専業養鶏法のあることもちろんで、今一番要請されている農業養鶏の伸びることを希っているのです。
 中 略
 今回はこれ位に止め、後は折に触れ、書いて見たいと思いますし、近く出る拙著または地方講習会等によって、よく知って頂き、或いは直接お越しになって(毎月十六日本部研鑽会)、失敗・犠牲の悔いを残されぬよう、そして一軒残らず鶏を飼養して、米を増収し、家計をよくし、お互いの終局の目的、幸いに満ちた世界の実現に努力致しましょう。      1954・1・ ・

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