BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 人間学びの7年半 ――

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Category: < つれづれ > | 2008.04.13 Sunday 15:00

人間学びの7年半

鈴鹿に率先して来た Fさん Fさん Oさん Yさん Hさん Yくん Kくん etc.
あの熱い志は何処へ行ってしまったんだろう?って思うことがある。
みな、ヤマギシでは第一線?で活躍してた・・・

鈴鹿に来て初めの頃は、一個人と個人ではなく、ヤマギシの時の係とか役割とか持ち場とか立場とかの先入観から人を見ていた面が多かったと思う。
いざ、ふたを開けてみると、ここではその人の実質があらわになる、肩書きも過去の実績も通用しないから実質だけがモノを云う。
・・・そして、今日に至る。

その時の、強い願望・熱意・意欲や高い志で実態ができるわけじゃない。
手腕・采配・豊富な経験を有していても、それを寄せ集めても、決してかつてない新しい社会は生まれない。
規模は小さくても本質的なものを作るには、「何が必要か」「それを阻む原因は何か」。

手腕や経験は、多くの人に益をもたらすように見え、それを活かそうとして、そういう役割に就いたりする。しかし、その人の独走・頑固・無自覚が露呈してくると、役割に応じて周囲への影響も大きいから、なんとか正常になるようにと、その人に研鑽への働きかけが始まる。
これは全て本末転倒で・・・、
役割に就いた人の正常化に力を入れるのではなく、
先ず正常な人になって、それから役割に就くというのが筋だと思う。


政界・財界・ヤマギシその他どこの会社でも組織でも、このことに焦点が当たってないから、解決の兆しが見えない。力や経験のある人を「重要だ」としておいて、「重要だとしている」から動かせなくなっている。
独走・頑固・無自覚も、その人自身にとどまることなら、その人なりの進み具合い・自由意志に委せていられるが、力の大きい人、役割に就いた人は、周囲への害も大きい。
   ○ 力や経験のある人を重視する社会や組織の運営
   ○ 自覚、人格、資格 を重視する社会や組織の運営

まだまだ、やる事ばかり重視して、人を重視してないと思う。
だから、人を見る目がないと思う。人を見る眼を養いたい。

2006.12.02 正鵠を射る 核心をとらえる
2007.08.02 人の中身に焦点をあてる社会
2007.08.04 人の中身について話そう

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