BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 六、求むれば得らる ――

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Category: <山岸養鶏の真髄> | 2003.10.31 Friday 23:45

六、求むれば得らる

=希った鶏界総親和の日は将に=

 私は一貫して全人類間の親和と幸福を念願し、鶏界人及びそれに関連する官・公・学・指導者・出版・飼料・卵肉業者から消費者に及ぶ人々との密接不可分の共栄原理にたち、機会ある毎にそれを云い、促進を図って来ましたが、人心はまさに総ての面で、個々別々の対立は苦しく、辛く、間違いであり、終局に於て成り立たないことを自覚する風潮が濃厚になって来ました。
 これは実によろこばしい現象で、万人その意識になり実行に移せば、必ず争いのない、過去かつてない幸福社会が訪れます。
 ただ、云うのみで行わなかったなれば、行うにしても考え方が間違っていたり、行おうとしても方法が見付からなくては空論冗弁にも等しい。
 総親和と云っても、形式だけで、内面心の世界に自己及び自己の周囲のみの繁栄を宿していては、如何に条項帛訂に尽くされても虚偽の累積に過ぎず、労に酬いられるものは百年変りなき混濁世界でありましょう。
 人には一人の敵もなく、皆身内です。そうではありませんか、両親を辿って行けば・・子孫の行く末の、末の結合を考えれば・・どうして一家一門の間で、争ってなどいられましょう。
 しかも遠く離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産れる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟、親子の間柄にあるもので、その繋りさえ分ればどんなことがあっても憎み合えたものではありません。
 人間同志だけでなく、世の中の凡ては、繋った密接な関係があり、まして養鶏を手がける者同士が相反目し互いに叩き落し合ってはいけません。
 私の身体知能の凡ては、両親を通じ、或いは周囲自然の中から受けたもののみで、山岸養鶏に関しての一切も皆それらから得たもののみで自分の何物もありません。
 私が養鶏に入った動機は、フトした奇縁とも云うべきものがあり、青年時代人生及び当時の社会組織に疑問を抱き、それの探究に没頭し、昼夜の別なく参考書を読み漁り、身心を酷使し、かつ再三、拘引留置等の圧迫のために健康を害し、やせ細った秋の一日、郊外に出て読もうと一書を携えて葛飾方面に行った時、またイヤな尾行が付き出し、犬を撒くために或会社へ飛び込んだのが、小穴氏の日本家禽産業会社(東京)で、種鶏舎に飼われていた純白の白レグ(当時は銘鶏)の美しさと、広い建物の中に整然と並べられた、サイファー式孵卵器や電熱育雛器の中の可愛い雛に愛着を感じ、かつ私が把握した社会組織のあり方を、鶏に応用実験すべく郷里(滋賀)に帰って養鶏(初めは人工孵化)に着手したのです。
 全く養鶏知識のなかった素人に、先輩諸氏から受けたものを積み重ねたもので、愛知や京都の養鶏家や、養鶏雑誌通信・孵卵・飼料業者等から与えられたもののみです。
 そのうちでも、『鶏と研究』と『養鶏の日本』は時によって連続的に私に養鶏知識を導かれ、それ等の記事に著わされた諸氏の発表は大きな部分を占め、中でも養日の高橋広治先生には負う処頗る多く、山岸養鶏の実際面の主流を成し、榎本誠・斉藤虎松氏及び其の他多くの人々から教えられたものばかりです。
 今度養日社を通じて紹介されるそうですが、二十余年を経て、これも奇縁の一つとも云えましょう。
 工藤岡崎種鶏牧場長はじめ、山下照太郎氏や中禽社・鶏友社・養鶏時報・養鶏興信・愛農・みづほ・タキイ及びその他新聞書籍・会の人々によって紹介され利用されることを私としてうれしい限りです。
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