BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 主体と自立 ――

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Category: < つれづれ > | 2008.01.17 Thursday 13:00

主体と自立

宇 宙
自 然
社 会

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行 為
言 動



人は無数のものを受けて存在している。
受けたものを吸収し、周囲のいろいろな影響を受けて受けたものによって、その人はできている。
人は受けるということについていろいろな捉え方をする。「してもらった」とか「やられた」という捉え方もある。(受けるというのも人間の捉え方)
「太陽に・・・してもらった」「雨に・・・された」 という捉え方もあるかな?

資本主義経済観念その他、人間よりの捉え方による社会通念を、
幼い頃から繰り返し繰り返し植え付けられた為なのか、
あたかもその捉え方が実際であるかのように機能させている。
 管理する側と管理される側   雇う側と雇われる側
 教える側と教えられる側   やってあげる側とやってもらう側
 禁止する側と禁止される側   義務や責任を負わせる側と負わされる側
 用意する側と用意される側   サポートする側とサポートされる側
・・・などなど、このような[頭の中の構図]の人が多いのではないだろうか。
仕事も暮らしも会社や組織も、このような[頭の中の構図]で捉えているのかもしれない。その人の言動・発想によってうかがい知ることができる。
「やってもらう」とか「サポートされる」という時の主体は誰なのか、誰が何をするのか。

仕事を任す
研鑽会を用意する
社会・物・人の行為
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これらを
受けた
自分は
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どうするのか
何をするのか
主体は自分にあるか

「任された仕事をやる」「用意された研鑽会に参加する」という場合、
その主体はどこにあるか?
主体が「任す人」「用意する人」ならば、「任される自分」「用意してもらう自分」は従体か?
これは理屈の解釈ではなく、自分の頭の中の構図、捉え方はどうなっているかという自己観察のテーマだと思う。
ここでいう[人]とは、大臣も乞食もない凡ての人のことです。
どの人も受けたものでできていて、それを元に生きて暮らして活動している。
このことは誰もが共通で、果たして[頭の中の構図]はどのようになっているかということ。
それによって生き方・考え方・行為も大きく違ってくる。
政治・機構・運営や理念・法則・あり方も「人の考え・行為」以上でも以下でもない。
それらを受けた自分の考え行為も「人の考え・行為」以上でも以下でもない。

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