BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽コミュニティを・・・ ――

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Category: < 具現方式 > | 2008.01.05 Saturday 22:00

研鑽コミュニティを・・・

理念・・・・・真理に即応しょうとする人間の観念のあり方
具現方式・・・理論を現実に具体化し得る方法

研鑽コミュニティ は、「理念の究明」と「具現方式の考案」という研鑽によって産まれたもの。
誰にも分かり易く、誰にもやれる方法。
失敗や、やり損ないがなく、やった分だけ、研鑽社会ができていく。
「研鑽コミュニティをやる」ということは、研鑽コミュニティのサポートを活用すること。
そして、自分が活用しながら、もっともっと多くの人が活用できるようにすること。

「研鑽コミュニティ」の中身や成り立ちに関心ある人は、研鑽ライフセンター(スタディサポート)を活用して、どこまでも深く調べることができる。
自分を知り、人生を知り、社会を知り、もっと、研究意欲のある人は、人間理、社会理、産業理へと、研鑽コミュニティの原理を究明する研究分野へ進むことができる。
(学び調べたことを実社会へ生かそうとする人が殆どだが、中には、更に
 学び調べる方へ進んで、大学院・研究室へという進路もある。)

コミュニティパンフレット
コミュニティマップ



例えば、ヤマギシに関係している人々へ
 自分のことは自分で、あるいは自分一家で、仕事や住まいのこと、家族や将来のことを考えてやって行かねばならないと思っている人が多いでしょうが・・・、
ヤマギシのように集団生活でなく、一体生活、研鑽生活できる所があるんですよ。
仕事の相談、住まいの相談、家計や家族や将来の相談もしながら、暮らせる所があるんですよ。
それでいて、いつでも、自由選択で参加できる研鑽機会もあるんですよ。
頼ったり縛り合ったりしない、自由な、本当の研鑽生活・一体生活を目指してやってる所があるんですよ。
規約も誓約も要らない、関わりたいだけ関わればいい、研鑽したいだけすればいい、一緒にやりたいだけやればいい、同調の人々がただ協力し合って暮らすコミュニティがあるんですよ。
 一人一人にパンフレットを贈りたいな。手渡したいな。

Comments

コメント、嬉しく読んでいます。
そうですね、歪みが生じるかどうかは、その心理面の内容如何という気もします。
「活動している人の心理・・・」ここでは一応、私の心理面ということで・・・
ヤマギシズムの真理性、人間と研鑽の必然性、他の思想や宗教的なもの、既成社会やヤマギシなどの組織のあり方など、私なりの考え・見解があり、それが私の思想や活動の原動力でもあるから、心理面にも作用していると思います。
言葉は定義しづらいですが、心理・考え方・思想など明確には分類し得ないと思っています。
その内容如何がその人の大きな部分を占めていると思うので、そこを重視することには共感します。

「間違いだらけの・・・」「無責任な・・・」などについては、文面ではなく、別途機会が持てればいいなぁと思いました。
純粋に科学的に検証していく場合は、例えば薬の臨床試験のように成果と同時に問題点やリスクも同等に公表していくのが普通だと思いますが、拡大志向、対抗意識、信念などの心理が働くと発表内容、表現に歪みが生じるように思います。
もし「間違いだらけの幼稚極まりない」というものであれば、良い所だけを取り上げて人に勧めるというのは矛盾を感じますし無責任な行為とも受け取れます。
臨床試験のようなものならば、それを十分理解してもらって参加を募るのが普通でしょう。
今回私が関心を持ったのは活動内容についてではなく、活動している人の心理に何が介在しているのかという点です。
ここに表現されている文から私が感じ取ったことで、私の経験や先入観も込々の感想ですので悪しからず。批判するつもりはなく、疑問を提示してみたかったのです。
コメントありがとう。
「己を正当化したり誇示しようとする・・・」は実質以上に良く見せたいという心理でしょうか。
それとは別に「自己を評価したり表明しようとする」心理はあると思います。
受け取る側の主観が混じる場合もあり、一概にきめられないという気もします。

まず、ここでは私の個人的な活動の一端として私が表現したいことだけを綴っています。
例えが変ですが、一つの作品のようなもので、当然、公開発表するまでには思い違いや出来損ないも沢山ある訳です。
このような場で表現できるのは、現象面のほんの一端です。
こういう目的で、こう考えて、こういう方法で、このように活動して、ここまで来たよ。というお知らせのようなものです。まだまだ間違いだらけの幼稚極まりないものだと思っています。
表現が拙いので反感をかったり却って逆効果かもしれませんが、何がしか興味や関心を寄せて頂けるならば、実際の実態を見て調べて、もっと突っ込んで欲しいと思っています。
そのようなやりとりが始まると、私たちの試行錯誤の一端も垣間見て頂けると思います。
最近、鈴鹿以外の人で関心を寄せて、関わってくれる人が出てきました。外から客観的に批評・批判も今後の課題として是非必要だと思っています。
taka さんのようなコメントを頂くと、とても刺激になります。これからも、どうぞ、よろしく!!
> 例えば、ヤマギシに関係している人々へ

思想、宗教関係なく人間の思考パターンとして、他を比較評価(或いは否定)することによって己を正当化したり誇示しようとすることが多々ありますが、これはどういう心理から生まれるんでしょう?(簡単に言えば「コッチの水は甘いよ」みたいな)
スズカにしろヤマギシにしろ、コミュニティから外に向けて発信する時には、己の持つマイナス面には触れず実績や良い面だけを出していこうとする傾向が強いように思いますが、そういった発想を根底に持った活動はどんな風に成長するんでしょう。
どのようなコミュニティや仕組みにしろ長所も短所もあり、長い目で見れば己の持つ負の部分についてどれだけ知恵を集め克服していくかということが大切な要素ではないかと私は思うのですが。
この辺は常々疑問に感じています。

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