BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 「普通観」 っていうか・・・ ――

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Category: < 世界革命 > | 2007.11.20 Tuesday 00:00

「普通観」 っていうか・・・

普通の会社 普通の住まい 普通の学校・・・
会社・住まい・学校といっても、特別なものをやろうとしているわけではない。
普通とは、当然・自然・元々・元来・本来・正常・本当・真実・真理即応・・・
無所有とか一体とかヤマギシズムとか研鑽とか言っても言わなくても、それは普通の人間の普通の社会のこと。

自分は何を普通としているか
自分の考え方や活動に特別な価値付け意義付けをすることによって力が湧く人がいる。それは、何か特別の思いで特別の事をやる意識の人の集まりにしかならないだろう。
「怒りや争いのない全人真の幸福」は特別なことではない。
(例えば、動物の体は水よりも軽く、泳げるのが当然で、普通に泳げる人から見たら、泳げない人が如何にジタバタしているか、よく分かる。逆に泳げない人からは泳げる人が 「スゴイ」と見える。)

普通の人 普通の社会
自分の頭の中のもので、正しいとか、事実だと、キメツケられないのが普通の人間だし、人にやらせたりやめさせたりなんて当然できないし、誰々の物だからと使用を禁止するなんてできないし、できないことしようとしないのが普通だろう。
普通は、束縛・押し付けや無理がなく、自由・平等で明るく豊か。

普通の会社・住まい・学校をやれる人になって、やろう。
あえて力説することでもない、会社・住まい・学校をやろう。
それは、旧来の社会・世の中が、普通へと ヒックリ返る(革命される)こと。
普通の社会を遺し、引き継ぎ、贈りたい。
自分の中にある普通観をベースに生きているということ。
どんな社会(世界)に立って生きていこうとしている毎日か?。


 本当に幸せな社会に立って生きていこうとする毎日かどうか振り返ってもみると、いろいろもっともっと究明しなければ、人の中へ行けないと思う。
 信仰と研鑽、協同と一体、男女夫婦のあり方、など。宗教の問題もこの理念からいった方が早いと思う。
 どれ程早く真理即応の、仲良く楽しい、よりよくより正しい生活が出来るか考えていったら難かしくないと思うの。いきにくいと思うそこに観念なんかがじゃましてね。「いけるかい」と、そんな観念から人ごとになってくるもの。
 真理に即応する現在唯今それの連続かと思う。
 社会に拡げる前に、自分自身が間違った生き方で苦しみ路頭に迷わすことになっても大変だし、案外この真理即応でいけば簡単にいける。いけるのが当り前や。・・・・
     1960.7.21 第一回 ヤマギシズム理念徹底研

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