BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽とは ――

<< ヤマギシズムとは | main | 8年ぶりの K さん >>

Category: < 研鑽の理 > | 2007.10.12 Friday 03:00

研鑽とは

2009.5.19 研鑽とは を参照して下さい。

「研鑚」とは「キメツケのない考え方」である。ということを理解して頂くために、先ず「キメツケ」とは、どういうことかを解説してみます。

「決めたこと」 と 「キメツケ」
 人と人が暮らしていくために便宜上、物事を「決める」ことは多々あるが、そこに「キメツケ」があると、「決めたことを守るのが正しい」となる。法律・規則・契約・常識・道徳など、今の人間社会は「キメツケ」をベースに営まれているといっても過言ではない。

「記憶や記録・知識など」 と 「キメツケ」
 これらは、過去の行為の跡で人間が遺したものだから、事実そのものではない筈だが、そこに「キメツケ」があると「記憶や記録・知識など」にあることは事実だとしてしまう。

「意見や主義主張」 と 「キメツケ」
 これらは、「私はこう思う、こう考える」ということだが、そこに「キメツケ」があると、自分の意見や主義主張と異なるものは、受け入れなかったり、対抗したりする。


以上、3つに分類してみた。
要約すると、「決めたこと」「記憶や記録・知識など」「意見や主義主張」を基準にして、真偽や善悪を裁こうとするのは「キメツケ」があるからだと思う。

「人の物を無断で取るのは悪いことだ」とするのは、「人の物は無断で取るべきではない」という人間が決めたことを守るのが正しいと「キメツケ」ているからだろう。
報道や学説と異なることを言う人を「間違っている」とするのも、報道や学説が正しいとしているからではないだろうか。
自分の身に覚えのないことを事実のように言う人を「おかしい」とするのも、自分の記憶は正しいとしているからではないだろうか。

「キメツケ」のない考え方
 正しいかどうかは、法律や常識や道徳に沿っているかどうかではない。学説と合致しているかどうかでもない。多くの人が正しいと判定するかどうかでもない。
 「正しいかどうか」は、「正しいかどうか」である。
 事実かどうかは、記憶や体験や記録と合致しているかどうかではない。録音・録画があるかどうか、多くの証人がいるかどうかでもない。
 「事実かどうか」は、「事実かどうか」である。
 
 物差しで測ったから間違いないとしないで、物差しそのものも正しいかどうか、調べながら測っていこうとするもの。
 「決めたこと」「記憶や記録」「意見や主張」と合致していても、そのものが間違っているかもしれないから、「合致しているから良い」「合致していないから間違いだ」と決めないで、本当はどうか、正しいかどうか、事実実際はどうか、と調べ続ける考え方。
 研鑚とはキメツケを持たないもの、キメツケのない考え方である。

― 「キメツケのない考え方」の体得・研鑽の実現については別途 ―

2007.05.26 研鑽の実現を
2005.6 キメツケのない社会 etc.
▲ page top