BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― Ymagishism My Life 2007 ――

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Category: マイプロフィール | 2007.09.07 Friday 16:00

Ymagishism My Life 2007

ヤマギシで、二十数年間 「これが実顕地だ」 と思って、やってきて、
ある時期から、山岸さんの著述・口述に触れる機会を得て 「これは本来の実顕地ではないな」 と思うようになり、その後の研鑽を経て 「本来の実顕地は、こういうものではないか」 という志を抱いて、「本来のヤマギシズム実顕地」 を実現しよう と、鈴鹿にやって来た。
  <無所有一体へ> 参照

当初から、「一つ財布」や「生活調整機関」や「一体経営」など、いろいろな試みをやった。やってみると、ヤマギシズム研鑽社会を実現するには、要素や順序が必要であることが浮かび上がってきた。
 ・理念を究明し、方法を考案する、人と社会の研究試験機関。
 ・研鑚によって人間らしく成長し合う、人を養成する機関。
 ・研鑚による社会生活・産業経済を組織し、研鑚運営する機関。


現在までの社会を表現すると、
アメとムチ(金と罰則)で、統制し、秩序を保ち、治めようとする、人間の禽獣化社会のようで、人が決めたこと(善悪観など)を誰にも画一的に当て嵌めれば正しいとされる、幼稚な悪平等社会と云えるだろう。
・人は何によって真に安心や満足が得られるかを見極めようとしない。
・個々人の特性である思想や人格の育成を軽んじ、怠っている。
・人間を知ろうとしない、幸福を知ろうとしない、モノ・カネ 主体の政策。


現ヤマギシ会員は理想が貧弱すぎて、幸福社会づくりを唱えても、理念も方法もビジョンもない、精神面だけを大事にする単なる仲良しサークル会に堕ち着いている。
ヤマギシ会もヤマギシ村も、ヤマギシズムとか社会づくりを語るなら、もっともっと、幸福社会、かつてない社会、ヤマギシズム社会について勉強が必要だと思う。


そうして、研鑚社会、研鑚生活という実態が顕われ始めると、当初やろうとした、「一つ財布」「生活調整機関」「一体経営」など、現象的に捉えていた社会像が薄れて影をひそめていった。
ここで、立証しつつあることは・・・、
人間の本来性に立脚した社会機構によって、誰もが真の人間らしく成長する。

私たちの用語でいうと、
研鑚社会機構によって、研鑚生活する人が続々誕生する。
持たない囲わない一体社会機構によって、人がそう成り、そういう社会生活が実現する。


 社会変革とか社会づくり等、「社会」を語ると、つい現在の社会をどうするかという発想に行きがちだが、要は、どうすれば、そういう社会が実現するか、ということで、既成社会をどうしていくか、という考えには必ずしも行かないと思う。それは、何かに捉われた狭い発想と思う。
 どういう社会を実現するのかを、ハッキリと知り、実現するには何が必要かを徹底研鑚する。そして、それに叶った方法を見出しながら実践していく。
 こう言っても、表現が抽象的で分かりづらいと思う。
 それを分かり易くするのが、私たちの活動だと思っています。


勘の鋭い人には察しがつくと思いますが・・・、
 「一体研鑽機構の社会を組織する」ことが できるか、どうか。これが鍵だと思います。
 たとえ心理面の研鑽を駆使して、優れた心境の人が多くできたとしても、それで人を罰する法律の要らない楽園(社会)ができる訳ではないのです。

 山岸さん自身、見極め考案したものを遺しているが、私たちは、それを理解し咀嚼し試験・実証しながら、ヤマギシズム社会の実態 を解説しようとしています。


生きている間に、どこまで、実態を創っておけるかな。
その理念・方法・実証までの過程を解説し、書き遺しておきたいな。


 よく ここまで きたな(2006.8.30) まとめてみると・・・(2006.9.12) 参照

Comments

 こう云う考察に触れると、自分には社会的にビジョンが欠けていると云うのがよく自覚できます。
 精神面でも満足までは、未だ道も残され…三位一体だから当然ですが…

 四月六日〜久しぶりに鈴鹿に行けるの楽しみにしています。

 山岸さんの、二つの幸福の痛烈な言葉「愚か者・戯者…」が耳に響いてくるわ

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