BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽生活への誤解 ――

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Category: < つれづれ > | 2007.07.01 Sunday 23:40

研鑽生活への誤解

みんなで相談して決めるのは研鑽ではない
みんなで相談して決めるのは仲良しではない
相談して決めることを研鑽と思っている人がいる。

研鑽するとは、どうするかを決めることではない。
みんなでやることと研鑽とは、何の関係もない。
研鑽は、みんなでやるものではない。一人一人の中に実現するもの。
研鑽生活、研鑽運営、研鑽経営は、みんなでやることではない。
研鑽態度で、生活・運営・経営する人がやること。

みんなで話し合って決める職場や組織を理想と思ったり、目指している限り、研鑽とは逆方向。

みんなで決めたことをやるのは、既に研鑽ではない。
みんなで決めたことをやるのは、自覚のない人を増産するだけ。

仲良し教、話し合い教、和気あいあい教、相談してやる教、みんなで決める教、そうするのが良いと思ってやる宗教。


自分を観察し、調べ、知るための研鑽を積んで、研鑽態度を養っていても、日常生活の中から、「みんなで決めたことをやるという回路」を断たない限り、自分にも、職場にも研鑽は実現しない。

今ある各職場の実状を見れば、「各自研鑽でやる」のではなく、「みんなでやる」ことに固執していることが、よく判る。

Comments

研鑚会で出ていた、寄ってから仲良しになろうでは実現しない、、ということ、本当にそう思う。でもとにかく寄ろう、寄ってから何とかしようと、そういう発想しかでてこない。やっぱりその人が目的をはっきり知る、、そういう人で寄っていく、、というのでないと。研鑚によって方法は見出されて機会に恵まれている。機会に身を置き、自分の中に研鑚が宿る、、そういう人でしかやれないのだと思う。目的がはっきりする、、自分がそういう人になりたいと、、自分の中から意欲がうまれる。そういう人でだんだん寄っていく。
変な現象だけど、
職場で寄ってやると、「各自の研鑽」で行動することが実現しにくいのかな?

それならば、
ひとりで家事をやったり、親しい人がいない職場の方が、「実際はどうなんだろう」「私はどうなんだろう」と研鑽態度で暮らし易いのかもしれないね。
仲良くないから、相談して決めないと気まずいのかな。

相談し合って、機嫌よくやっていても、
相談しないでやると、すぐに仲悪くなるもんな。

化けの皮が剥げるみたいな感じかな。

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