BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 一体の方向・・・ ――

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Category: < 一体の理 > | 2005.04.20 Wednesday 07:48

一体の方向・・・

昨夜の研鑚会で「一体の方向」というのを出してみた。「一体の方向」とは・・・
人間世界の究極の姿は「一体」で、そうなるまでは、紛争や貧困は絶えないと思う。
だから「一体の方向」とは、遠い遠い先に的を置いている。でも「一体」に随分近い人も沢山いる。

「一体」とは囲いや隔てなく凡てと溶け合った状態。
口に唱え頭で思う「一体」ではなく、実質その人自身がどれだけ「一体」か、ということ。
テレビでも新聞でも、どんな人を見ても、どれだけ「一体の人」かな。どれだけ「一体の方向」にある人かな、と思う。
研鑚会に来ている一人一人は勿論のこと、エコサウンド・スリーシー・ひまわり会・つくしんぼ 等々、凡ゆる活動は「一体の方向」のものの筈。
道行く人、接する人、みな「一体の方向」で接したい、処したい。
仕事が順調に進んで良かった、長年の願いが叶って良かった、でも、その人の「一体の方向」というのは、どうだろう。
「一体の方向」とは、その人が好むと好まざるに関わらずだよね。言い換えれば「真の幸福」でもいいし「真の人間」とも言えるね。

昨日、ある人が現状では不便だと思うことがあって「このように変えたい」という話があって、はじめは「ああそうか」と聞いたけど、「でも、不便が解消して、それでどうなん?」って思った。
日常いろいろな価値観(実は常識観)を基準に考え行動していることが多いと思うが、「一体の方向」が確定すると、それに適うものか、どうか、という課題が、いつも浮き彫りになると思う。
「真実の世界」は、真実か、どうか、という価値観、っていうかな。思い為すことの判定かな。

あの人も、この人も、どうしているかな?幸せになって欲しいな?
こういうものが湧いてくる元は、親愛の情だと思うけど。情だけだと幸福感に終わるよ!!
「一体」というのは、ほんわかあったかい情の世界のように思われがちだけど、
「一体の理」に即するというのが本意かな。そこからくる「真愛の情」かな。
一人一人が「一体の世界」の「一体の人」になる方向。
旧知の人の方向、近所の人の方向、・・・地球上の全ての人の方向。
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