BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 産業理を実践する経営 ――

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Category: < 社 会 理 > | 2007.03.20 Tuesday 17:00

産業理を実践する経営

研鑽によって、人間観・社会観が明らかになるにつれて、それが生活行動や社会運営に現われ、社会気風ができてくる。
この順序でいけば、当然、経済や産業面についても、研鑽による解明や具現化が進んでもよい筈だが、これが仲々そうならない。
日常生活の言動や思考や感情については観察できても、仕事や経済のことになると、どういう考えで何をやっているのか見えないらしい。
これは、一人一人の中に深く入り込んだ資本主義観念に依るところが大きいと思う。資本主義に基づいた経済感覚を自覚しない限り、研鑽による産業観を培うのは無理だと思う。
経営の合理化、能率の追求を徹底することは、人間性を疎外するものとの観念がある。それは資本主義だから。
なんと呼ぼうか、「人間主義経済」とでも云おうか。どこまでも、合理化・能率を追求する無固定前進・永遠繁栄経済。

健全な産業、正しい産業のあり方は、未だ手付かずだと思う。
産業の原理から紐解いて、人間と社会と産業経済の成り立ちを知る必要があると思う。
ボクなりの産業観からの見方だけど、今の世の中は殆ど商売・商業が主導になっていると思う。
買い手が主役で、買い手が欲しがるもの、買い手が喜ぶように、買い手の言いなり産業のように見える。
たくさん売って、たくさん儲けるのが産業の目的になっているから、こうなるのも当然のことかもしれない。

買い手次第の手無し経営とは云わないまでも、おもねり・へつらい経営がすっかり板に付いてしまっているようだ。
たくさん売ることが目的だから、必要とあらば、「お手」でも「おすわり」でもなんでもする。売れると尾を振って喜ぶ。
いずれにしても、人が人に頭を下げる姿は見ちゃいられない。
でも、これに慣れると、美しい姿や謙虚な姿にも見えるらしい。

多くの買い手に誉められて、大事業家になったとしても、自他共に人間的自尊心忘却症を蔓延させていては、物が溢れるだけで、優美な人間社会は訪れないと思う。
産業理研究。これを手がけないでは、研鑽社会化も画餅・口頭禅に終わるだろう。
人が人に頭を下げなくていい、人を豊かにする本来の産業の実現に向けて、研究活動の端緒を開きたい。
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