BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 学問と実験 ・・・ 「研鑽」 ――

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Category: < 研鑽の理 > | 2007.03.19 Monday 20:00

学問と実験 ・・・ 「研鑽」

ヤマギシズムが世に出て、半世紀あまりになる。
ヤマギシズムは、イズムであり、考え方である、というが、
初期の山岸会の活動を「ヤマギシズム活動」と形骸化し、それを踏襲している。
ヤマギシズムとは何か? 研鑽とは何か? 実顕地とは何か? 無所有とは何か? 一体とは何か? ・・・と、個人的に問いかけを持つ人は少なくないと思う。
しかし、その問いかけは個人的な域を出ず、重要視もされず、研究や解明がなされないまま、呼称や名称は広く使われ、今日に至っている。

他の思想や宗教界でも、原典や教典を解明・解釈するための研究機関を設けている。

ヤマギシズムと呼んでいる組織や活動の「どこがヤマギシズムなのか?」
組織や活動の目的は、なんなのか? 果たして、その方向に進んでいるのか?
等々の問いを発してみると、ヤマギシズムと呼んでいる組織や活動を調べる以前に、もっともっと調べなければならない部分が浮き彫りになってくると思う。
そういう作業(研究)は、個々の思いつきや片手間では難事であって、確たる趣旨と方法を以って取り組まなければ出来ないと思う。


例えば、特講でやられている
なぜ腹が立つのですか。 ・・・をやれますか。 それは誰の物ですか。
等々が、人間革命にどう繋がるのか? どういう位置を占めるのか?
何々だから腹が立つ。  何々だからやれない。  これは誰々の物。
等々と、これらが解けたように見えても、それは一時的な開放感や、目新しい見方や捉え方に出会ったことによる感動であることが多い。
当然、繰り返せば、効きめは無くなる。
このように、一度しか通用しないものを万人の特効薬の如く重宝がって踏襲し、それ以降の本題である、「ヤマギシズム」や「研鑽」の解明がなされないまま、特講を受講した人によって「ヤマギシズム」や「研鑽」の言葉が広まり使われている。


人間にとって最も大切なのは、なんなのか?
人間らしい、とはどういうことなのか?
それを実現し、発揮するには?
   <内面的要素 と 環境的要素>
それを妨げているものがあるのではないか?
   <社会的要因、心理的要因、物質的要因>
妨げているものを取り除くには?
   <そこに主眼を置いた社会制度・機構・運営>
          :
本来の人間性、その人らしさが発露した人生の姿
          :
人みな快適に暮らせる、真の人生を営み得る社会組織


ヤマギシズムは、「真の科学」とも「総合哲学」とも云えると思う。
私たちが云う「研鑽科学」とは、そういう意味で、「ヤマギシズム」と同義語であるが、その実態が明らかになるにつれて、「ヤマギシズム」という呼称や固有名称は不要になり、研究・究明・哲学・科学の総称として「研鑽」の語を用いていきたいと思う。

解説 ヤマギシズム社会の実態(一) 山岸 巳
 ・・・の最初の項に以下の一節がある。
状勢の展開につれて、機を見て断続的に、具体的に、解説しましょう。理解ある協賛により、実践し乍ら完結出来れば幸いとします。
これは、「解説が完結出来れば・・・」とも読める。
私たちの活動は、
学問し、研究し、解明し、実験し、実践し、実証して解説する活動かと思う。
多くの有志・同志と共に、イズムを一貫して研鑽し、次代・後代へ引き継ぐ、それのみに生きられる歓びの中を生きています。
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