BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 7.単一組織としての拡張と変遷 1961〜2000年 ――

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Category: <無所有一体へ> | 2007.03.03 Saturday 18:00

7.単一組織としての拡張と変遷 1961〜2000年

    2005年2月 記述の続編です。

 1961年から各地で実顕地が産ぶ声をあげた(山岸氏は、この年の5月に亡くなった)。しかし、その実顕地の多くが、考え方や方法の行き詰まり等から、破綻していった。
 その後、実顕地として確固たるものを軌道にのせようと、組織化が進められた。あり方や指針を明確に打ち出して、運動面も産業面も生活面も、それに沿って全体行動する組織となっていった。
 1970年代後半〜1990年頃まで、参画会員の飛躍的な増大、産業面での急激な成長、潤沢な経済力による用地取得、施設増築、等々。実顕地は全国各地に作られ、「ヤマギシの村」と名乗り、日本中で知られるようになり、海外の国々にも、広がっていった。

 実顕地とは、ヤマギシズムを実際に顕わす地という意味で、それを純粋に実践しようとした為か、また、無所有一体社会と従来社会との違いを明確にしようとした為か、実顕地という場所を特定し、参画者という人を特定することで、「この場所が無所有一体社会」「実顕地の参画者が無所有一体を実践している人」という示し方をしていった。
 場所や人を特定することにより、周囲との差別化は進んだが、また反面、囲いや隔てや溝ができ、無所有一体の本質である「無辺境」とは逆コースを辿ったのではないだろうか。
 財産を処分したり住まいを移さなくとも、どこででも現状そのままで「無所有一体」を実現する方法として打ち出されたのが実顕地だが、その困難さに耐えられなかったのだろうか、ヤマギシズム実顕地と名乗りながらも、目的も方法も形態も、すっかり変わってしまった。
 囲いのある単一組織としては拡張したが、それも20世紀の終盤にはピークの時を迎えた。

 多年に渡って、多大な人や労力・資材を注ぎ込んだ40年間ではあるが、無所有一体化の実質的な稔りは、あまりに少なかったと云えるだろう。しかし、未来・後代への資料として、多くの貴重な歴史・教訓を遺したとも云えると思う。
 私自身、1974〜2000年まで、その渦中で率先して活動してきた。その中で、ヤマギシズム・山岸氏の思想・理念を研究する機会を得て、社会構成の核心、人間問題の焦点が観え始めた。
 2001年、21世紀の幕開けと共に、ヤマギシズム社会・無所有一体社会・研鑚社会の門戸を開くべく有志によって、新たな研究と実験の旅が始まった。
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