BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 「社会観」の元となる「人間観」 ――

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Category: < つれづれ > | 2007.02.09 Friday 19:00

「社会観」の元となる「人間観」

自分優先・金稼ぎ、競争や勝ち負け感、努力や頑張りなどに慣れてしまうと、人間本来の姿を見失っていく。
義務・責任や規則・罰則、人の上下や貧富の差などが、有って当たり前になると、本来の人間社会を見失っていく。

人間を知らないで人間をやっている。人間を使っている。
人生を知らないで、人生をやっている。
でたらめな人間使い、でたらめな人生。

人間とは、何する生き物か。
生きるために食べて、食べるために稼いで、稼ぐために働いて、・・・

働くことに重きを置いているうちは、人生が見えない
よほど働くことが好きなんかな
まるで働かんならんようにして働いている
働くより研鑽したら良い
7〜8割を研鑽に使ったら良い
働くのは、2〜3割で済むようになると思う
働くことに重きを置いた頭で、働きながら研鑽しようなんて、絶対ムリと思う。
自分を働くことに費やして、他の人をも巻き込んで、人を働かせる。

自分の中に固まっている頑固な頑固な「人間観」は絶対に崩そうとしないもんね。
自分の中に頑としてある「人間観」から、人生を見てる、人を見てる、自分を見てる、仕事を見てる、社会を見てる。
自分の中の「人間観」さえ解放したら、凡てが、ガラガラと崩れるのに、それには一切触れさせずに、自分の「人間観」で毎日、毎日、働いている。働かせている。
そういう状態では、人間について、人生について、仕事について、社会について、話し合いが出来ない。
話にならない。


自分が、やったり、やめたり、は出来る。
人にやらせたり、やめさせたり、は出来ない。
この辺りに、根本的な鍵があるような気がする。

何かで人を動かせるかの如く、洗脳され?錯覚している?
自分も何かに動かされているような・・・。
自分は、自分の意志や欲求で行動しているつもり、でも、その内実は、
やらない訳にはいかない、放っておけない、そんなことするもんじゃない、そんなこととても出来ない・・・
人間が決めたもの、自分の頭の中のもので、自分にやらせたり、やめさせたり、している・・・無自覚に

自分自身、仕事や役割に動かされ、常識や社会通念に制御されている。・・・でも、やりたくてやっているつもり、自分の意志でやっているつもり。


働かないと生活が行き詰まる?
 今でも、あまり余裕がないのに、せめて、もう少し余裕ができるところまで働いて・・・・と、働くことで、解決するように思っている。

働かないと生活が行き詰まる?
 働くと生活に余裕ができる、という考えそのものが、本当にそうか、どうか。

働いて、働いて、収入を得て、お金の心配なく、研鑽会に参加する時間もとれて・・・・。それで満足? その先に理想社会がある?
頭を使わないで、体ばっかり使ってる。
人間の使い途を知らない。人間を知らない。
人間は働かす動物だと思っている。


テーマは人生を知る
人間を知る 人間とはどういう生き物か。
「やること」ってあるのか
他の動物に「やること」なんてないだろう
えさを獲って食べて、寝て、じゃれ合ったり、遊び回ったり、・・・
生きるためにやっているようなこと、みな本能的欲求からだろう。

人生→生きる→動く→何かをやる「行為」→結果(成果・産物)→齎し合い、分かち合う
これが人間の頭の中で、逆流する。
結果のために→何かやる→そのために生きてる・・・みたいな・・・?
良い結果を出さないと、やった意味がないとか・・・
何かやらないなら、生きてる意味がないとか・・・
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