BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
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Category: < 精神革命 > | 2007.02.02 Friday 11:00

抜本塞源 (頭脳革命) 先ず ここから

認識のメカニズム → 日常生活 自分の見方・考え方
見たり、聞いたり、触れたり、味わったりして、思ったこと、感じたこと、それらが記憶され、蓄積され、今の考え方、性格、生き方、感情などを形成している。

私は、事実を見た、事実 体験した。
・・・これは、その瞬間・瞬間
私が、見たもの、体験したこと。
・・・これは、頭の中の記憶。
どれほど正確に記憶したとしても全く別モノ。

ビデオの例
事実を撮影した。・・・事実とは、時々刻々の出来事。
撮影したものは、・・・磁気テープや磁気ディスク。
出来事は出来事、・・・記憶装置とは全く別モノ。
 (食べ物の写真を撮っても、写真は食べ物にならない。)
事実を正確に再現しようと、ビデオ技術は向上するが、どこまで行っても、過去の事実を推し測るためのもの。
ビデをを見せられると、「事実こうだったんだ」と断定してしまう。或いは「事実を知った」となる。
更に、人間の記憶は、より断片的で、なおかつ、その人なりの捉え方で記憶している。
「事実を見た、体験した」とは言えるが、「私が見たこと、体験したことは事実だ。」と言うところに、大いなる混線があると思う。
過去だけでなく、現在の事実(地球の形、自分の体重、各地の実況、etc.)についても、何らかの媒体を介して、できるだけ事実を正確に推し測ろうとして現わされたもの(別モノ)を見ている。「事実を知った」とは言えない。

今の教育も全部この例。教わったら「事実を知った」となる。そういう人をつくっている。
毎日、毎日、言い合い、主張のし合いが絶えない、今の人の世。
自分の頭の中のことなのに、「事実だ」として言っている。
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