BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 懸案 ――

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Category: < 研鑽の理 > | 2005.04.12 Tuesday 07:43

懸案

研鑚会が誕生して50年以上になるが、研鑚会は普遍化・定着したと云えるだろうか?
研鑚会と呼ばれるものは、出来たり、消えたり、維持継続したり、している。
研鑚会は「研鑚の実現」にかかっている。私たちがやろうとしている社会運営、社会生活も「研鑚が実現」しているか、否か、にかかっている。
「研鑚の実現」を「よくわからない」として、ウヤムヤにしていては、「研鑚会」は決して実現しない。
今一度、運研・地区研・係り研などに、「研鑚会」という名称を用いるか、どうか、検討を要する。
「研鑚会」と称している機会、ひとつひとつに対して「それは研鑚会と呼べるのか」を、問うていきたい。
今、漠然としているから、漠然としたままにしないで、「研鑚会」と名乗るからには、「研鑚会」という内容のものを開催するという、意志が必要と思う。

1959.10.3 愛和より
『研鑽の理提案は私達だったとしても、本当の研鑽の理を明確に実現化し実用化し、活用出来るようにこの世に産み出したのは生命がけの業績だったと私は思っています。』

研鑚に出会って何十年、何百回もの研鑚会に出席している人たちが、「しらべる」を目的に集まっても、
研鑚会にならない、研鑚が実現しない、実用できない、としたら何故か?
このまま次代へ研鑚を引き継ぐこともなく、消滅させてしまうのか?

『新しい道に乗った人は、その余得のうちからの一部を、次の道路の建設に協力し、汽車等の維持をすることです。』
心ある人で、研鑚を実行し、研鑚を表して、研鑚を広め伝えようとする研究実践活動を・・・・。
まずは 研鑚の講習会 やろうかな?
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