BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― つれづれ無為乱筆1 ――

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Category: < 研鑽の理 > | 2005.01.28 Friday 07:33

つれづれ無為乱筆1

凡ゆる現象の元には無現象があるのではないか。
それは、物理とか、その現象の因果関係とか、他との繋がりとか・・・・。
人間の思考・言動も、無現象が元になっている。
よって、人間の元なるもの、無現象が重要なのである。
それは、心の世界というか、或いは、魂とか霊とかというものかもしれない。
知能の働きは現象だが、知能の働きが無現象・心を大きく左右する。
知能の働きの元にある無現象。
無現象を科学する知能。

現象ばかりを扱うのではダメで、現象を扱うにも、真に現象を扱おうとしたら、無現象を知らねば、現象を知ることはできない。
物を知るには、必要な物理を知る。
人間を知るには、人間理を知る必要がある。
理は何にでもあるもので、理の顕われを「あり方」とも云えるし「真実」とも云える。
理そのものは無現象。
観念にも理に即した観念がある。本当の観念−−観念理−−理念
物理が明らかになれば、当然それに即して、物理を応用・実用して物を扱っていく。
観念理(理念)が明らかになれば、それに即した観念で生きていくだろう。・・・か?


現象を解明していくと・・・・・・・・どこまでが現象か?
磁力・電波・音・光・重力(引力)・・・欲求・感情・思考・・・(無形の現象)

観測・計測が高度化されて、現象を正確に捉えて応用・実用できるようになったと思っても、現象科学のみに立脚している限り、物の本質、つまり無現象は明らかにならない。

無現象は感じるものでなく、現象によって存在を知ることができる。現象を捉えて想像したり類推するものでもない。現象をありのまま受け取り、その現象がどういうものかと解明することによって、無現象の存在を知ることになる。
現象をありのまま受け取る・検べる・・・これができるか否かにかかっている。
真実を見つけ出すのも、人の心を知るのも・・・・これができるか否かにかかっている。

純粋客観科学に立たねば、無現象に届かない。

「理念」を云う前に、まず「事実」を知る。 事実の「成り立ち」を知る。
「この世界に固定しているものは何もない」「この世界に単独で存在しているものは何もない」・・・・ことを知る(とことん肚の底から体に染み込ませる)。

○理念から行ければ、本当に楽なんだけど・・・・・・
理念からいけない強い強い観念があるから。 その観念を棚上げ、取り除く。
既成の観念には多くの原因があるから、取り除くのは容易でないのか。
視点が、焦点が、「理念」の方にポイっと切り替わると、ナンデモないくらい簡単なんだけど・・・・。
豊かさ 楽しさ 平和 快適 安心 社会 幸福人生・・・・・
みんな、みんな現象で捉えないで、理念から行く。

心底求めているもの、欲しているものは、うわべのものでなく本当のものの筈なのだから、本当のものを得るには、本当から行かねば。
現象を観念で追っていても、本当のものに届かない。


○事実を見る聞く  そして  真実(本当)を見る聞く
本当の社会をつくりたい、本当の実顕地をやりたい等、思っていても、本当というところにたっていない限り、唱えているにすぎない。
本当を願ってやっている。それで実際にやっていることは、どうなのか。
「本当を」と思ってやっているのは、思っていないよりいいような気もするが、だからといって、「本当を」と思っている人と思っていない人と比べてみて、「本当を」と思っている人の方が、「本当を」やっているとは限らない。
「本当を」と思っていない人でも、本当の人がいる。
「本当を」と思ってやっていることに、どれ程の価値があるのか。
本当(真実)とは何か。
本当(真実)とは何かを明らかにしないで、本当を思う気持ちでやっている。
それは、本当(真実)を知らないからだ。

良かった、悪かった、できた、できなかった、進んだ、遅れた、儲かった、損した、増えた、減った、上がった、下がった・・・・・
本当(真実)か、どうか、という価値観。
今まで、そういう価値観を知らない人には、サッパリ分からない。
真実か、真実でないか、どうやって見分けるの? 自分の感覚?

○昼の世界に住むということ・・・・明るくて、よく見える。
暗くて見えないのに、真実か、どうか、なんて無理だと思う。
明るくて見えれば、一目瞭然、真実か、どうか、すぐ分かる。
「真実の世界」「昼の世界」は、凡てが真実ということではなく、真実か、そうでないか、が明らかな世界。太陽に照らし出されて、事実実態真相が明らかになること。
暗い夜の世界では、何が真実で、何が真実でないか、が分からない。
暗い見えない世界だから夜用の価値観になるのは当然。疑心暗鬼、みな思い思いバラバラの価値観で、キメツケ、思い悩み、恐る恐る暮らしている。
明るくてよく見える世界なら、自ずと昼用の価値観になる。

みんなの考えで、みんなの中でやれば、持ち味に合わせて、楽にやれるのに、
自分の考えでやろうとして、自活し、生計を立てる道を択る
みんなの中でやることへの不信か?、不安か?、窮屈感か?、親しくないからか?、打ち明けられないからか?

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人間の知恵の入らないものは、理に叶っていると云えるかもしれないが、人間がある限り知恵なしという現実はなく、他の動物ばかりなら本能だけの理に叶った動きとなるかもしれない。
人間がいることによって、人間の知恵が働くことによって、人間ならではの文明が生まれるので、知恵あるから理に叶わないでは、かなわんなぁー。
人間の知恵は、人間がより良く生きるために使われるべきで、物質文明など人間の知恵を人間がより良く暮らすように使われている面も多いが、知恵が先走り空回り脱線して方向を見失い、いつのまにか人間を苦しめることに使われている。
人間の頭脳は、どのようにも働くもので、人間を良くすることも悪くする方へも働くもので、どのように使うことが人間にとって良いか。
これに知能を用いれば、知恵を空回り脱線など、させなくてすむと思う。
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