BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 実証の段階へ・・・ ――

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Category: < 世界革命 > | 2006.07.29 Saturday 08:55

実証の段階へ・・・

 いよいよベールを脱いで、
“共用社会”
“誰のものでもない”
“誰が用いてもよい”
“無所有 一体主義世界”

 を論理的に立証的に編輯して世界に打ち上げます。
(1959.10.10 第二信より)

“共用”・・・になっていないという自覚
“誰のものでもない”・・・になっていないという自覚
“誰が用いてもよい”・・・になっていないという自覚
“無所有”・・・になっていないという自覚
“一体主義”・・・でないという自覚

  そうなっていないということを気づける(自覚できる)か、どうか。
  そうなっていない状態で、そうやろうとしても、できない当然の理。
  先ず、自覚。それから、そうなろうとする。そして、そうなるには・・・。

人の心も、生活行動も、機構や運営も、
“共用” の方向に進んでいるか、どうか。
“誰のものでもない” という方向に進んでいるか、どうか。
“誰が用いてもよい” という方向に進んでいるか、どうか。
“無所有” の方向に進んでいるか、どうか。
“一体主義” の方向に進んでいるか、どうか。

 これを見分けるの難しいと思う人いるが、そんなことない実に易しいこと。
 これに関心がないから、見分けられない訳で、関心ある人なら、すぐ判る。
 今のご時世、商取引き・近所付き合い・人間関係のかけひきや、年金・保険・老後の蓄え・資金運用・金利などなど、とても複雑なことを会得して巧妙に使いこなしている。
 これだけのこと一般人の誰もがやれるんだから、無所有 共用 一体 か、どうか、を見分けるなんて、誰でもできる。高度な知恵いらない。関心があればできる。


赤ん坊のときは、誰もが何も持ってないのだから、難しいことではない、誰でもなれる、当然の姿。
人間が知恵あるにも関わらず、人間(自分)の考えで良いと思うものを良しとして、そうでないもの排除して、そうすることで、より良く生きられるかの如く思う、思い違い。
人間(自分)の考えで、取り込んだり、排除したり、そういう傲慢さが、人間(自分)を狂わせている。
人間(自分)は、そんなことできない存在であることを知る。

猛獣・病原菌・台風・地震・・・あるから安心できない楽しく暮らせないなら、人類幸福は永久に不可。
なにものとも共存し、棲み分け、保ち合って、豊かに安定した暮らしができるはず。(これら人間の観念が通じない相手の例の方が分かり易い)
人間の考え振りかざしたり、人間の考えで裁いたりするから、善玉・悪玉つくったり、征服・克服・支配などの発想が出てくる。
自然界の何ものとも抗しない、対立がない、共存共生あるのみ。当然のこと。
ましてや、同じ人間同士は尚のこと、知恵を生かしあい、力を足し合えるから、・・・


ミソ も クソ も 一緒にしない 無所有 共用 一体 の実態か、そうでない実態か、に関心ある人が増えると、この社会の実態が、もっともっと浮き彫りになる。自分の思いや感情を振り回した「観念や感覚による評価」でなく、実在する人と社会の実態に着眼する。
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