BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― Next Society ――

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Category: < 世界革命 > | 2006.07.25 Tuesday 19:00

Next Society

従来の社会では、必要とされていることの多くが、
次に来る社会では、要らなくなる。

 権利・義務の社会から、権利・義務のない社会へ
 誰々のもの、誰々は使ってはならない、という社会から、
       誰のものでもない、誰が用いてもよい社会へ


権利・義務のない社会
 言葉では、権利・義務がないというと簡単そうだけど、実際的に考えてみると、
 当然であると主張できる何ものもない。生きる権利、食べる権利、人権という言葉も要らない。
 法律を守る義務、納税義務、扶養義務、など、しなければならないこと、強制されるもの、何もない。契約や責任を果たす義務もない。

物・金・人・自分 誰のものでもない誰が用いてもよい社会
 云いかえると、承諾や許可が要らない社会・責任や罪や罰のない社会
 「誰の仕事でもない・誰の家でもない・誰の金でもない・誰の名義でもない・・・・誰が用いてもよい」
 私とか、あなたとか、なんの承諾も、誰の許可も要らない。
 いくら働いても報償も給料もない。保険も保障も要らない。
 誰が何をしても責める何ものもない。不平・不満・文句など出ない。
 責任という言葉も要らない。罪も罰もない。


as one society
 権利・義務・責任・承諾・許可などなど要らない人による社会
 次に来る社会の礎として、as one社会を実践する。

こういう社会では、なんでもスースー行く。
いちいち了承を得たり、みんなに諮る必要もない。
承諾不要、相談もなし、「研鑚あるのみ」でいける人が、この社会やれる人。
自分の思いや感情や気持ちを出さないとやれない人は不可。
不平・不満・権利主張のある人は、旧来社会で・・・。


次に来る社会は、無所有共用社会
 これを願っても望んでも、無所有共用で行ける人にならないと・・・。
 無所有共用とは「物」のことではない。
 自分の考え「自分そのもの」を無所有共用でいける人にならないと・・・。
 生涯学究制は、自分を知り、人生を知り、人間社会を知り、本当の社会人たり得る人格と資格を養成する機関。

 竜巻や狼に子供をさらわれても、誰にも文句は云えないだろう。
 人間の行為にのみ、責任・罪・罰が発生するのは何故だろう?
 自然災害でも、誰かの責任にしないと気が済まないらしい。
 この世の出来事 凡て、誰のせいでもない、誰が悪いのでもない。
 自然の中で生きた昔の時代は、人間が作ったものが自然現象で崩壊・全滅しても、さほど、悲しんだり、悔やんだり、苦悩・苦心なかっただろう。
 理屈を知らなくても、人間の考えよりも、自然の力の方が圧倒的に大きいことを体で知っているだろう。
 現代でも、どんな人でも、幼少の頃は、自分の意志では、どうにもならないことばかりだと、理屈ではなく、体で知っている。
 子供は、文句言わないで、産まれた家で、付けられた名前で、与えられた物を食べて生きていく。
 人間の考え(自分の考え)膨張、人間の考え(自分の考え)独走でなく、
 自然真理・事実・実際に即応してより良く生きようとするところに人間の知恵が働く、自然真理・事実・実際を軽んじていては、人間は決してより良く生きられないと思う。
 そういう、元来の人間、人間らしい人間に立ち還るために生涯学究制はある。
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