BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 続 「鈴鹿」について ――

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Category: < 世界革命 > | 2005.12.07 Wednesday 10:01

続 「鈴鹿」について

なぜ、そんなにまでして研鑽会を・・・ の巻

私たちは「鈴鹿」に住まいを移すより以前に、一番最初に先ず「鈴鹿」に研鑚会場を設けました。
14坪、家賃7万円の貸事務所で。2000年11月「鈴鹿」での初めての研鑽会「実践の書研」が実現した。
2週間の参加費は5000円。持ち寄りの食器や食材、事務所の隅の流し台で煮炊きしながら食事した。
ヤマギシの村から「鈴鹿」の研鑚会場に通いながら・・・。

< 2000年3月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社会課程研鑽会が豊里にて始まる。従来のように個人を調べる研鑚だけでなく、「社会を調べる」研鑽会。
実顕地、職場、学園、本庁機構、ヤマギシ会組織、生活調整機関・・・等々が、果たしてヤマギシズムに叶った社会と云えるか、どうか、調べる社会課程研鑽会。
< 2000年8月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎月開催の社会課程研鑽会は、豊里でやって欲しくないということで、研鑚学校会場に移る。
< 2000年9月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社会課程研鑽会 研鑚学校会場もこの月までとなり、場所探しが始まる。
< 2000年10月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時、加賀実顕地にいたYTさんの協力で、片野農場で研鑽会が開催できた。名称は「世界革命実践の書研鑽会」
翌月は阿山実顕地で開催予定だったが、この期間中に「以後ヤマギシの村の中では開催しないように」となったようで、
急遽、研鑚会場探しが始まり、「鈴鹿」に研鑚会場を設けることになった。
< 2000年11月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
貸事務所を借りるには敷金・礼金など、まとまった資金が要るが、当時、参画者の面々では月々1万円の小遣いがあるだけで、とても足りない。
そこで、既に村から街へ出ているメンバーの協力を得て、瞬く間に100万近い資金が集まった。
こうして、冒頭にあげた「鈴鹿」での「実践の書研鑽会」が幕をあけた。
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今、思えば、ヤマギシの中で研鑽会が続けていられたら、今日の「鈴鹿」はなかったかもしれない。
豊里 → 研鑚学校 → 加賀 → 鈴鹿  ・・・・場所を変えるように仕向けてくれたからこそ、今がある。
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新世紀も幕を開けようとする頃・・・、毎月の「実践の書研」に参加した人たちが、本質的なものを見極め、そこに立ち還ろうと、続々 鈴鹿に住まいを移すようになった。
< 2001年 > 「鈴鹿」一体社会の幕開け・・・・・・・・・・・・・・
以後、概略はホームページ http://www.kensan-community.org/ にて

Comments

歴史だね!2000年10月加賀での研鑚会に街へでて8ヶ月目に参加した。鮮明に覚えている!! あの時泉田さんと2人だけ街組みは。途中色々な人が出入りしながら とにかくこうしなきゃとゆう空気だけは はずれてた。えらそうに先輩気取りで 杉江さんに「早く村をでなよ」なんて言ったのをおぼえてる。そしたら「う〜ん」て言ってた。 毎日午前中はひなちゃんと温泉 美術館 海 科学館 粋な喫茶店もう遊ぶのに忙しかった しょうかしきれないほど加賀の文化は面白く網羅されている処だった これが研鑚作業よねと楽しかったな。あの時カラオケで杉江さんがツナミを歌って超うまくてびっくりして ずっと昔から知っていてもその人のことってわからんもんだなって思ったのを覚えている。・・・こんなことを書いていたら一人一人のことを思い出しちゃって書きそうなのでやめます。 私なんかはそん時そん時でただみんなにつられてのっかってやってきただけなんだけど 社会の歴史で見た時一歩一歩と進んでいるだなって改めて思った。

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