BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽会について思うこと ――

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Category: < つれづれ > | 2005.12.16 Friday 09:57

研鑽会について思うこと

岡山のUさんへのメールより抜粋

研鑽会というとヤマギシの時のイメージが先行するのかなーと思ってね。
若い子らに聞いても「研鑽会って答えが決まってる」とか「最後は係りが正しいことを言うんだ」とか・・・、
これでは研鑽会嫌いになって当然だよね。
ここ(鈴鹿)での5年間は、研鑽会の5年間。生活も事業も組織活動も全てが研鑽会から生まれたもの。

鈴鹿での最初の研鑽会場は貸事務所の一室だった。ヤマギシから通いながらだった。
食材・食器・なべかま持ち寄り、片隅の流し台で夕食作り、煮炊きしながらの研鑽会。
2週間の参加費5000円。途中で出入り自由、とっても動的?な研鑽会。

先日、話した通り、今やってる幸福研も出入り自由、持ち寄りのコーヒー、お茶菓子、果物、いろいろ賑やかにテーブルに並ぶ。
携帯が鳴って出て行く人、心地良さそうに居眠りする人、メールしてる人もいるかな?
初めて鈴鹿の研鑽会に来て、その光景・雰囲気に驚く人もいます。

一週間の合宿研の方も、寝る時刻、起きる時刻、食事もその人次第、研鑽会の時間だけ決まってる。
あとは各自考えて行動する。おおむね午前中は研鑽会ないから、散歩したり、運動したり、朝風呂とか、喫茶とか、いろいろ・・・。
夜の研鑽会後、酒やつまみの用意が始まることもあります。

鈴鹿での研鑽会を通して、ヤマギシズム社会の実態「第二章 構成」に「一 幸福研鑽会」があるという意味を自分なりに実感しています。
研鑽会が社会の縮図そのもののような実感、真の自由平等が先ず研鑽会で実現されていく。
個々には上下感や窮屈感、束縛や押し付けっぽい人いても、研鑽会という小社会には、一切の縛り押し付けや上下・差別がない。
そういう研鑽会を実践・体験することから、実生活・実社会の革命が始まるという実感・手応えがあります。

研鑽会で自由・平等を実現しなかったら、この社会は絶対できないと思う。
まさに、「弾圧したり、腹を立てたらおしまいです。」だね。

ヤマギシを出た若者も大人も研鑽会を敬遠する人いるけど、ヤマギシでやってたような研鑽会は面白くなかったと思う。
だからこそ、本当の研鑽会実現に凡てをかけていきたいと思ってやっています。
では、また。
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