BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
第24回 研鑽科学サロン テーマ:「人と人による社会を現わす研鑽会」(佐藤)
第23回 研鑽科学サロン テーマ:「研鑽科学による子どもの育ちを考える」(坂井)
第22回 研鑽科学サロン テーマ:「客観的観察力 科学する力 研鑽」(真保)
第21回 研鑽科学サロン テーマ:「自発的服従」から「自発的自由意志」へ(小野)
第20回 研鑽科学サロン テーマ:「自発的服従」から「自発的自由意志」へ(小野)
第19回 研鑽科学サロン テーマ:幸福研鑽をベースにした暮らし(杉江)
第18回 研鑽科学サロン テーマ:幸福研鑽をベースにした暮らし(杉江)
第17回 研鑽科学サロン テーマ:自分を観るということ〜自分を知る・・・(井川)
第16回 研鑽科学サロン テーマ:人にとって「研鑽」とは〜なぜ「研鑽」なのか(佐藤)
第15回 研鑽科学サロン テーマ:自分を知り、人生を知り、社会を知る(杉江)
第14回 研鑽科学サロン テーマ:社会観の元となる人間観(杉江)
第13回 研鑽科学サロン テーマ:"心の健康 と 社会システム"(小野)
新春特別企画サロン テーマ:"研鑽社会経済の現状と展望"(小野・杉江・野尻)
第12回 研鑽科学サロン テーマ:"人にとって「知る」とは〜なぜ「知る」なのか(佐藤)
第11回 研鑽科学サロン テーマ:"“研鑽会” なぜ人間にとって必要か(真保)
第10回 研鑽科学サロン テーマ:"話し合う"を科学する〜人を聴くとは(小野)
第9回 研鑽科学サロン テーマ:「あらわれたもの」と「そのもの」(杉江)
第8回 研鑽科学サロン テーマ:人の自由 社会の自由(杉江)
第7回 研鑽科学サロン テーマ:人をベースにした社会とは(杉江)
第6回 研鑽科学サロン テーマ:自分を知るとはどういうことだろうか(佐藤)
第5回 研鑽科学サロン テーマ:人間にとってなぜ研鑽が必要か(真保)
第4回 研鑽科学サロン テーマ:事実・実際とはどういうものだろうか(小野)
第3回 研鑽科学サロン テーマ:人間の考えとはどういうものだろうか(小野)
第2回 研鑽科学サロン テーマ:社会観の元となる人間観(杉江)
第1回 研鑽科学サロン テーマ:社会観の元となる人間観(杉江)

9/28 アズワンに引っ越しました。
3階建てで3戸の小さな小さなマンション?? です。 ⇒⇒⇒
白川、本山、杉江 が入居しました。
鈴鹿に来て約8年、初めての引越しでした。

5月から豊里の中井さんが鈴鹿に住んで豊里へ通うようになり、自ら合宿研にも参加し、毎月の研鑽科学サロンへは豊里の有志が同行するようになりました。
豊里で研鑽科学サロンを開催したいとのこと。
それとは別に豊里の SK さん KT さんとも研究所で毎月会合が持てるようになり、
大学部生らを対象にした研鑽ゼミを実現したいなあ、と展望しています。

3/15 研究レポートに 精神革命にむけて を載せました。2005年8月〜の記事ですが、この辺りがベースになって始まったな、という想いがあり、まとめてみました。
2/24 第2回 研鑽科学サロン より ← 掲載記事をご覧下さい。
2/13 <山岸養鶏の真髄> を掲載しました。
2/8 <山岸会養鶏法> 特別解説までを掲載しました。

1/31 「研究レポート」のコーナーを設けました。
1/26 今日、第1回「研鑽科学サロン」が行なわれました。40人以上の参加がありました。内容は主に「人間観」についてです。文書か録音によって内容を公開する予定です。
1/15 「研鑽科学サロン」を研究所主催で毎月やっていこうということになりました。研究課題について質疑応答・検討する機会です。第1回は1月26日テーマは、このサイトにある社会観の元となる人間観(2007.2.9)です。
1/1 人間本来の姿 それに適った人間社会 ・・・これまでに培った「理論と方法と実験」について解説する機会を、今年は設けたいと思っています。よろしく!!

12/20 研鑽コミュニティHPに インフォメーション のコーナーを設けました。
12/7 テンプレート また 少し変えてみました。
11/7 来週 11/11〜は「自分を知るための研鑽会」に入る予定です。参加申し込み者が現在9名なので2班(2会場)でやることになったからです。「自分を知るための研鑽会」は8月以来です。とても楽しみにしています。
11/2 K さんとの対談録音を公開して欲しいとの要望が多くありましたが、いろいろ事情があり一部を抜粋して載せてみました。→ (私の発言の一部)
 先週おこなわれた「人生を知るための研鑽会」の中で、1時間20分ほどの録音を通して聞いてもらいました。
10/28 カテゴリ別リスト(←クリック)を作ってみました。
10/23 テンプレートを変えて、統一してみました。
カテゴリーの分類の仕方や、表示方法など、ただいま思案中です。

10/4  研鑽ライフセンター各コースのパンフレット作成中です。クリックして拡大表示でご覧下さい。⇒⇒⇒
ご希望の方はメールして下さい。
9/21 この思想研究ブログには、研鑽科学研究所の会員が閲覧・交流しているブログから抜粋して掲載しています。他の会員の研究活動ブログもあります。興味のある方は、ご一報下さい。info@scien-z.org
9/17 頭の中で考えた目的や願い →→ 頭の中で考えた行動 ・・・これを一生やるのかな? 先ずは、頭の中の借り物でなく自分の目的を知ることからかな。

9/9  8年程前かなー、ヤマギシの機関誌に「そのまんま実顕地」というタイトルで、図解をイラストにしてもらって載せたのを思い出した。
そこで、ヤフー地図を使って「そのまんまっぷ」?を作って見ました。
      クリックして拡大表示でご覧下さい。⇒⇒⇒

9/8 より良い社会を志向する人は多いと思うけど、「人間本来の姿・それに適った人間社会」となると、現状の人間を基準にした良い社会とは、だいぶん観点も変わってくる。
 鶏が先か卵が先か、物が先か心が先か、人が先か社会が先か、・・・という議論もいいけど、やはり、人とは?社会とは?と、科学していくことだと思う。
 そこに、興味・関心ある人を求めています。

「研鑽ライフホーム」の研究会にて、根本的に見直して、零から出直そうとなった。煎じ詰めると、やはり「構成」は「研鑽会と構成員」だな・・・。

8/30 野尻さん「わたしの研鑚へのあゆみ」、小野さん「研鑽社会化への情勢」 読んでみて下さい。
8/24 「研鑽社会経済機構の現状」ということで・・・
既に「財布一つ」とかいう段階は超えていると思うんです。
金の要らない社会の実証へと進む・・・この社会に暮らしながら。
8/21 更新しました。
それぞれの人、各自に研鑚が実現するよう、方法の考案や試験研究を研究所メンバーで行なっています。真保さんの「研鑽能力育成のための自主トレ」や、井川さんの「自分を知るための内観コース」を読んでみて下さい。
「幸福社会の実現」には、「社会を知る」「幸福を知る」それには「人生を知る」「人を知る」それには「自分を知る」それには「自分を調べる」それには「自分を観察できるように成る」という順序・ステップがあると考えています。
いくら願いが強くても、自分の思い考えが強い人は自己観察できない傾向にあることが多いので、冷静に自己観察できる人に成ることが先決で、そのために禅や瞑想やその他も研究対象にしています。
8/18 更新しました。
12日〜18日の「自分を知るための研鑚会」に入っていました。
今回は参加者8名でしたが、一会場でやる人数としては多い方です。
最近は5名前後でやることが多く、じっくりと自己研鑽できる研鑽会をやろうとしています。
19日からは「自分を知るための研修生コース」があります。
28日からは「自分を知るための日常化レッスン」もあります。
これらも人気のコースで、毎月多くの参加者で満員です。
研鑽ライフセンターを活用して、自身の研鑽ライフを実現していこうとする多くの会員によって、「鈴鹿の研鑽社会気風」が醸成されていると思います。
26〜9/1 の「人生を知るための研鑽会」に入る予定です。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 >> total 66p

Category: < 研鑽の理 > | 2008.08.01 Friday 20:00

研鑽科学(ヤマギシズム)について

【研鑽科学という表現】
40年以上に渡って、日本では「ヤマギシズム」という言葉が、団体固有の名称として用いられてきた為に、この言葉を用いると誤解が生じ易く、あえて「ヤマギシズム」という言葉を避けて、「研鑽科学」という言葉を用いています。
ヤマギシの組織が公表している資料やホームページには、「ヤマギシズム」について言及した解説は殆どなく、「無所有一体の生き方」などという表現がされてある。
無所有一体共用生活が「ヤマギシズム」ではない。
仲良い楽しい幸福社会を作ろうとする会や活動が「ヤマギシズム」ではない。
「ヤマギシズム」はイズムであり、考え方である。
「ヤマギシズム」からくる無所有一体共用の仲良い楽しい幸福社会というものはあるだろうが、
無所有一体共用の仲良い楽しい幸福社会が「ヤマギシズム」ではない。
無所有とか一体などの表現は古来からあるもので、理念でもないし、ヤマギシズムを表す言葉でもない。
敢えて云うなら、ヤマギシズムそのものが理念であり、研鑽が理念である。
「無所有一体社会が宗教化したら大変」(1961.10 第5回理念研鑽会)
「ヤマギシズムは言葉でも文字でもなく、現象でもなく、一つの考え方に過ぎないもので、・・・」(1960.4 ヤマギシズムと山岸会)
「ヤマギシズム」と呼ぼうと呼ぶまいと、中身が「ヤマギシズム」かどうか、つまり「研鑽」があるか、どうか。



【偏らない固定のない科学哲学、即ち研鑽】
研鑽という言葉は、学問・技術・芸術など専門的に深く究めるという意味に用いられる。
私たちが用いている広い意味での研鑽科学は、特定の人ではなく、人間なら誰にも当てはまると思われることで、研鑽(深く究める)ということを平易に云うと、安易に分かったとか出来たとか結論づけない営みとも言える。
日常の見る・聞くという行為でも、見たから聞いたから分かった知ったと結論づけないで、事実・実際・真相はどうなんだろうという考え方を研鑽と呼んでいる。
例えば、薬を飲んで病気が治ったり、拝んで病気が治ったりすると、
「薬を飲んだからだ、拝んだからだ」となる。
「物が落下するのを見て重力の作用だ」となる。
「形態を見て、無所有だ、一体だ、ヤマギシズムだ、研鑽会だ」となる。
これらは現象面を捉えて、そのものを捉えているつもりになっている例と云えるだろう。

このことを、もう少し突っ込んで見てみると、現状では「こんなことを言った人」「あんな行為をした人」と、発言や行動を捉えて、人を判断していることが多々あるだろう。犯罪と云われる行為をした人は悪い人とされるし、皆が喜ぶような行為をする人は良い人とされ易い。

研鑽によると、人の行為についても、現象面の目に見える言動よりも、その言動に至るその人の心の状態や考え方などに重点をおくようになる。
人の言動や凡ゆる事象について、人間の持つ感覚器官で捉えたものをベースにして、その背景や底にある内面・真相・原理を知ろうとする知能の働きが、科学であり哲学だと思う。



【研鑽の実現、本質的なものに重点をおく】
社会組織についても、現在までの社会通念では、規範とか秩序を重んじ、規律を守るとか、真面目に働くとか、そのような現象面のこと(行為)をとても重要視している。
人間教育・躾け・道徳などは、心を大切にしているようだが、やはりその結果、良い行為をするかどうか、行為が悪ければ効果がないと見なす。
良い行為をするのが良い人間で、心や考えが良いと見ている。
逆に、悪い行為をするのは、悪い人間で、心や考えが悪いと見なされる。
正しい心や考えを教育して、罰則によって悪い行為をなくせば、誰もが義務や責任、規則や契約を守り、物が豊富で便利になり、人の幸福や社会の平和が実現するかのように思われているようだ。
ヤマギシズムを名乗っていても、
私有財産を持たないとか、独断独走しないとか、皆で相談して決める等することが、ヤマギシズムを現しているかのように思い易く、そういったことに力を入れるようになる。
現に、どうすることが「ヤマギシズム」なのか、分からなくなっていると思う。
故に、今までやってきた形態を守り踏襲することで、ヤマギシズムを実践しているかのように、今日の活動に意義を付けたがるのだろう。

歴史的事実や社会通念によって「人間とはこういうものだ」との観念が強いために、人間や社会を本質的に見ようとする観点が育たない。現状の人間や社会組織をどうしたらよいかという発想から抜け出せない。

凡ゆる動植物は、正に自然体でそのものらしく脈々と生き続けている。
何故、人間には努力や頑張り、我慢や辛抱、規律や統制が要るのだろう。それは人間の本分である知性に逆行するものと思う。
自然体でそのものらしく生きる人間本来の姿を知ろうとしていないのではないか。
ヤマギシズムは「人間とは、社会とは」と、その本質を科学哲学する思想である。

Category: マイプロフィール | 2009.12.01 Tuesday 21:00

満9歳になりました。

2000年12月1日に、鈴鹿に移り、今日で丸9年になりました。
そして、このホームページを始めてから、5年余りが経ちました。
このブログも、ここらでチョット、ひと区切り付けようと思います。
どうせ遊びだしね。同じスタイルが続くと、飽きてきてね・・・。
すっきりと、シンプルに、一からスタートしてみます。

多くの心ある有志に抱かれて、毎日々々、愉しく面白く、ぬくぬくと研鑽三昧で、申し訳ない程です。
この開放感・暖かさ・軽さ・心地よさ・気楽さ・・・は、いったい何だろう。


いろいろな試行錯誤、変遷を経て、ここの活動や暮らしぶりを「研鑽コミュニティ」と呼ぶようになりました。
紙面やネットで紹介できるのは、現象面のほんの一端です。
ここに暮らす人々の安心度・満足度・ゆったり感・心の落ちつき・晴ればれ度・爽やか度・シンプルな人間関係・・・などなど、なんだか夢見心地のようで、とても文字や言葉では現わせません。
人と社会の研鑽・研究を繰り返しながら、移りゆく人や気風の変化を見て、「はぁー!、人間ってこんな風に暮らせるんだぁー!」と感嘆するほどです。
見に来て、人や空気に触れてもらえば、多くの人がその違いをきっと感じると思います。
・・・と言っても、改良・前進、改良・前進の途中の一コマで、一ヵ月先も予想できません。これからどんな展開が産み出されるのだろう・・・? 

では、このブログは、このページにて・・・      一からの新たな初めより

Category: マイプロフィール | 2009.12.01 Tuesday 00:00

僕も思ってた「そこは実顕地だと・・・」

19歳から45歳までの約26年間、ヤマギシに居た。
そこで、約20年の間、僕も「そこは実顕地だ」と思っていたんだよね。
    (まあ、そのまま思っててもよかったんだけどね)
本当に面白いのは、それから後のことだよね。
面白いのは、周囲のことではなくて、僕の中のこと。
山岸さんが遺してくれたものに出会って、みるみる内に僕の中が変わって行った。
「実顕地」は、本来の人間社会のための一つの「具現方式」だよね。
そこに目を向ける人がいなかったんだろうね。

いちいち書くの面倒だから、書かないけどね。

Category: < 具現方式 > | 2009.11.28 Saturday 07:30

そこは実顕地ではない

土地をかまえて、そこに施設を建て、その地に移り住んで、生活している。
それは、実顕地ではない。
現在、実顕地と名乗っているもの、全てが実顕地ではない。
いわゆる ニセモノ。
このことは、10年前から言い続けてきたのですが、理解されないですね。
理解すると続々とその地を離れて行くでしょう。
或いは 「そんなことはどうでもいい」 という人ばかりになってしまったのかな。
実顕地とは、家や財産や仕事など現状そのままで一体生活を顕そうとしている地。
そんなのは無理だと諦めてしまったのだろうか。40年前に。
そして、豊里ができ、以後、みんな豊里式・・・。
だから、本来の実顕地は、どこにも一度も実現していない。
(11.25 杉本さん10回忌に想う)


六川での談話(1960) より
 まあ、春日山もあこまで出来たが、あれは皆売り払って出来たもの。それが一点、私等には出来ないわ、となって、あれは特別な人やとなるが、これは普遍性がないという。

山田村の実況(1960) より
「なるほど、それなら共産党やないか?」
 それは全然違うんだよ。全財産を出資したからといって共有になるわけでなし、不動産名義も戸籍面もそのままでええんだよ。
         :
 今度出たとか出るとか聞く『金のいらない楽しい村』ね、あの中に書かれている具現方式はまた一段と画期的な方法だそうで、春日のように家、財産を売り払って集合しないで、現状そのまま、その場で一体生活に融合できる仕組みだそうです。


この後(1961〜) 六川・北条・その他、各地で、続々と実顕地が産声をあげたのだが・・・⇒ 無所有一体へ を参照

Category: < つれづれ > | 2009.11.27 Friday 11:46

研鑽科学 第2号 が出ます。

研鑽科学第2号の紹介 ← こちらを参照
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 >> total 66p
▲ page top